どこにでもいる音楽家、どこにもいない音楽家
あとがきに代えて
大学時代に感銘を受けた本があります。それはE.T.A.ホフマンの『クライスレリアーナ』という作品でした。これは音楽論とも短編小説ともつかない13編の文章から成り立った作品です。そしてこの作品は、狂気の音楽家クライスラーが書いた雑文集という形をとっています。面白いことにこの作品は小説的構成を取りながらも、音楽の専門用語や音そのものの固有のイメージに(作者ホフマンは優れた音感の持ち主で、彼の中で音や香りや色のイメージは、分かちがたく結びついていたらしい)寄るところが大きいのです。音楽家でもあったホフマンは、文章の読者にも音楽的なセンスを要求しているのです。
他方、ロベルト・シューマンと言う作曲家がいます。若い頃詩人になることさえ考えたと言われるシューマンは、自作の音楽に文学的な意味を施す人でした。例えば『幻想曲』の第一楽章の中間部で、彼は曲の表情を「Im Regenden Tone(伝説の音調で)」と指定しています。通常音楽の表情は楽譜にイタリア語で「情熱的に」とか、「火のように」とか、誰もが共通したイメージを抱けるような言葉で書き込まれます(余談ながら、『An die Musik』の各章のタイトルは全てこのイタリア語の音楽表現記号から取っています)。しかしシューマンは自分の母語であるドイツ語を使い、演奏者に「文学的に」自作を読み解くように求めているかのような書き方を残しました。そして彼はホフマンの文学を愛し、『クライスレリアーナ』という素晴らしいピアノ曲を作りました。
音楽的な作家ホフマン。文学的な音楽家シューマン。そしてデモーニッシュな雰囲気をもつ2つの『クライスレリアーナ』。それは、音楽と文学の狭間に立っていた僕を必然的とも言える強い力で惹きつけてくれました。そして僕は、いつしか僕自身の『クライスレリアーナ』を作りたいと思い始めました。その頃から僕の中にはゆっくりと、一人の音楽家が育ち始めたのです。
「彼」は2年をかけて僕から生まれ、ある時「片山龍介」というピアニストになりました。そして僕はこの一人のピアニストの物語を考え始めました。
片山龍介は決して新しいタイプの音楽家でもなければ、現代音楽の旗手でもありません。彼は大昔からどこにでもいた芸術家なのです。名前と顔を変えれば、古典をひもとくまでも無く、我々は日々のTV画面で、劇場のステージで、あるいは映画館のスクリーンでこんなタイプの男を見ることが出来ます。世間に背を向けて、何かに取り付かれたように芸術に打ち込む男。自らの才能に呪われて苦しむ男。ロマン主義の時代から続く芸術家小説の典型であるこの姿は、一つの紋切り型といっても過言ではないと思います。僕は18世紀のドイツの小説から現代日本のあまり評価の良くなかった映画まで、このようなタイプのキャラクターを軽く五人は挙げることが出来ます。それらの作品の多くは、今ではほとんどが忘れ去られた存在となってしまいましたが。
ところで、僕がこの作品を書いたのは1999年です。当時はちょうど日本の伝統芸能が注目され始めた時期で、それまでかなり上の年齢層を中心に親しまれていた狂言や三味線、そして僕自身も演奏していた雅楽に、それまで縁もゆかりもなかった若い人達が熱狂し始めていたのです。それを見た僕は、奇妙な確信を抱きました。たとえブームとはいえ、「難解さ」や「堅苦しさ」というイメージさえ排せば、これだけ多くの若者が日本の伝統芸能に熱中するのだ。そんな彼らなら、クラシックだって形を変えれば素直にその良さを受け止めてくれるかもしれない、と。いささか楽観的な考えではありますが。
だけど僕は僕以外の何者でもないので、どれほど典型的な音楽家を作っても、それは「東條弓月の作った音楽家」にしかなりません。だからここで描かれている音楽観や音楽論は僕自身が描いた、ロマン主義の精神についての僕自身の解釈とも言い換えられます。そういう意味では片山龍介と言うピアニストは、どこにもいない音楽家だともいえます。だって僕は一人しかいないんだから……。
そう思いながらこの小説を書き始めたのですが、僕は創作過程の最後の最後で音楽をジャンルわけすることを放棄しました。クラシックも雅楽も、ロックやポップスも、そしてジャズも……全ては「音」から始まった「音楽」に過ぎないということ、そして雅楽やロマン主義の精神を知れば知るほど、その根底には共通したものが流れていると思えてきたからでした。そして片山龍介と僕の旅は、これは僕自身も予想しなかったことでしたが、いつしか「音楽」の探求から、それを構成する最小単位である「音」を、それも我々自身の内側から響く音を求める旅になりました。
彼はラストでそれを感じることが出来ました。でもまだ僕はその音を感じることが出来ていません。次は僕自身が音楽を通じてそれを感じる番だと思っています。今まで出会った全ての音楽と、これから出会う全ての音楽を通して。
叶うならばこれを読んでくださった貴方にも、この不思議な音が届きますことを、龍介のピアノとして静かな和音が心に響きつづけますことを、願わずにはいられません。
東條 弓月