Time Has Come
 
 
 
離れずに暖めて  30

「ったく、お前にカミソリ借りるんじゃなかったよ」
「扱い下手やねん、お前。俺なんて一度もケガしたことないで」
「器用だな、ほんと感心するよ。あんな切れ味の悪いのでヒゲそっているなんて」
 そんなに伸びていたわけではなかったが、アゴあたりがなんとなく気になって高崎の家のカミソリを拝借したまではよかったが、使い慣れた自分のものとは勝手が違い、誤って顎に切り傷を作ってしまった。
 食品を扱う仕事をしているだけに手指に限らず傷には気をつけているのだが、こんなところでケガするとは思っていなかった。
 あーあ、大して伸びていたわけでもなかったのに、気にしなければよかった。
「まぁええやん。男は傷の1つぐらいあったほうが、ハクがつくって」
「浩二、お前それでフォローのつもりか」
カミソリの傷でハクがつくかい。
 身支度を整え、3人廊下に出たところでふと思い出した。
「俺、昨日お前に鍵返したよな」
 僕がそう言うと、高崎は鞄を探った。
「え? 返してもらったっけ。お前が持ったままちゃうかった?」
「えー、昨日彼女に渡したんちゃうの?」
 浩二の言葉に、高崎がやや頬を赤らめて「渡してないっ!」と反論した。
 こと、この話題に触れると、高崎は高校生の浩二にからかわれている状態だな。
 
 今日は雲が多いながらも雨の降る確率は20%ということだった。風も穏やかで、わりと過ごしやすい一日になりそうだ。去年の学祭は行っていないが、最初の学祭は小降りで肌寒いぐらいだった。
「そういやお前、サークルで店番とかないわけ」
 僕の問いに、高崎は首を振った。
「俺は初日にやったから、今日はフリーやねん」
 なるほど。
 辺境地の大学とはいえ、大学祭ともなるとさすがに電車・バスとも混んでいた。電車はともかくバスの方は、乗車率200%と思われるほどの込み具合で、芸バス初体験の浩二が「死ぬ、死にそう」と弱音を吐いた。
「お前満員電車乗ったことないんかい」
 高崎が呆れて言うと、浩二は言い返した。
「だって俺、高校チャリ通やし。そんな電車に乗ってへん」
「そっか、お前大阪でもそんな電車に乗ってなかったな。でもこれぐらいでしんどいなんて言ってたら、会社勤めできへんぞ」
「自転車で行ける会社に勤めるわ、俺」
 そんな弱音を吐いていた浩二だが、芸坂をあがる時は一番元気だった。バスケ部なだけあって体力には自信があるらしく、あっという間に坂を駆け上がっていってしまう。僕と高崎がだらだらと上りきった時には、受付からもらってきたパンフレットを熱心に覗き込んでいた。
「お、フリマ、作品発表、劇……いろいろあんねんなぁ。食べ物の店も多いし」
「高校の学祭とはぜんぜんちゃうからな」
「兄貴のサークルの店はなんやったっけ」
「うちはタコス。後で連れてったるから」
 今日はまず初めに、徳田たちSWEの演奏を聴きにいく予定にしている。
 学祭での演奏用ステージは2箇所ある。一つはメインステージと呼ばれ、学祭のためにセットが組まれたもの。もう一つは円形ステージと呼ばれ音楽学科の校舎の脇にある、コンクリートの円形状のステージだ。そのステージは放射状の階段に取り囲まれたようになっていて、観客はその段に座ってステージを見下ろす形になる。
 徳田達SWEのメンバーの演奏は、円形ステージの方で行われる。
 12時前という時間のためか、階段に座っている人はお好み焼きや焼きソバなど食べ物を持っている人が大半だった。演奏を聴きながら食事もできる、いい場所と言える。僕らは起きたのが遅くまだお腹は空いていなかったので、コンビニで買ったペットボトルを手に階段に座った。真ん中らへんの段の右よりの場所だ。
 僕は徳田からもらっていた曲目リストを取り出した。
「あ、これ、この曲に徳田のソロがあるらしい」
「よし、そこは逃したらあかんポイントやな」
「なぁ、あれ、あの箱なんやろ」
 浩二がステージの上を指した。
 見ると、確かにステージの手前側に黒い箱が置いてある。
「あれは指揮台だろ」
「あ、そっかー。あんなとこにぽつんと置いてあるから何かと思った。めっちゃ不審物扱いしてたわ」
 浩二が1人頷く隣で、高崎が懐かしいことを言い出した。
「指揮台って言えば、高校の合唱コンクールの本番で、演奏中に指揮者の中村が貧血起こして倒れてたな。覚えてる?」
「あー、あったあった。あの時は派手に倒れたな。緊張のあまりの睡眠不足だっけ」
 放課後残って練習している姿を知っていたから、ほんと気の毒だったな。
「そういや、あの時なんで中村が自ら指揮者に立候補したか知ってたか?」
「知ってるよ。ピアノ演奏者の上田礼子に片思いしてたからだろ」
 僕と高崎の会話を、浩二は黙って興味深そうに聞いている。
「そう、それで、保健室で中村、見舞いにきた上田に告白したのは?」
「それは知らなかったなぁ。で?」
「で、上田は塾で知り合ったI…高校の男と付き合ってたから、残念ながら振られてしまった、という話」
「うーん、切ない話やなぁ」
 浩二がため息と共につぶやいた。
「お前には縁のない話やな」
「ほっとけや。兄貴と同じやんか。高校で浮いた話の1つもなかったんやろ」
 本人には内緒だったが、僕は高崎に片想いしていた女の子の話を愛子から聞かされて、高崎にその子に対しての印象を聞くように頼まれたことがある。その時の高崎の反応がイマイチだったことからそれ以上進展はしなかったが、結局彼にその話をする機会がなかったな。まぁいいや。僕の心の中にしまっておくか。
 僕は周囲を見回した。見知った顔がいないかと探したところ、上の方の段に座っている夕佳里さんを見つけた。誰も連れがいないらしく、1人で座っている。
「あれ、佳月どこ行くん」 
「いや、ちょっと」
 僕は階段を上がった。夕佳里さんと視線の高さが同じぐらいになるように、数段下で立ち止まる。 
「夕佳里さん」
 一度呼びかけてみたが、彼女の視線はまったく別の方を向いていた。
 今日の夕佳里さんは、ズボンと長袖のシャツというラフな格好で、彼女は左足を座っている段にかけ、その膝に腕をのせ寄りかかるような体勢をしていた。
「夕佳里さん」
 再び呼びかけると、ようやく彼女は顔を上げ、視線を僕の方へ向けた。
「あ。……お久しぶり」
 よく見ると、彼女は耳にヘッドホンをかけていた。脇に置かれた鞄からMDプレーヤーが覗いている。どうやら音楽を聴いていたらしい。彼女はプレーヤーのリモコンのボタンを押し、左耳からヘッドホンを外した。会話に応じようという姿勢を見せてくれる。
「いつ、帰ってきたの?」
「一昨日」
「今日は1人?」
「今はね」
 彼女は最初と変わらず短い言葉で答えを返してきた。今は1人、ということは後で穂積さんと待ち合わせているということなのかな。たぶんそうだろう。
 もう少し彼女に近づこうとして一段上がると、夕佳里さんは一瞬僕の顔を見上げた。どこかぼんやりしたような彼女の目つきに、僕は違和感を覚えた。
 前にも、こんな彼女の顔を見た覚えがある。
「……?」
 夕佳里さんは傍らに置いていた紙コップを手にした。よく見ると、それは学内にある自動販売機の紙コップではなかった。今日自動販売機以外で紙コップを使用している場所と言えば、学祭期間中学食前でお酒を売っている出店ぐらいだった。 
「夕佳里さん……まさかお酒飲んでる?」
「うん。少し」
 僕の驚きをよそに、彼女は紙コップに口をつけた。やっぱり彼女の飲み方は、舐めていると表現した方が正しいな……まぁ、摂取していることに変わりはないが。
「なんでまたお酒なんて」
「薄くしてくれって頼んだし、ジュースみたいなものだよ」
 夕佳里さんは中身を混ぜるようにコップを揺らした。
「それにしたって君は元々強くないんだから」
「別に私が何飲んだって、いいじゃない」
 重ねた言葉が気に障ったのか、彼女の口調に苛立たしげなものがにじんだ。本人もそれに気づいたのか、決まり悪そうな表情を見せた。
「ちょっと、飲みたかっただけだから」
 この話はそれで終わり、とばかりに彼女が小さく首を振ったので、僕もそれ以上は聞かなかった。
 コップを脇に置くと彼女は視線をあげ僕の顔を見たが、ふと何かに気づいたように瞬きした。 
「あご」
「え?」
「切れてるね。どうしたの?」
 彼女が自分の顎に指をあてたので、僕は今朝切った傷を思い出した。
「あぁ、これ? 今朝カミソリで切った」
 そう答えると、夕佳里さんは微笑の合間に一瞬違う表情を見せた。
 強いていうなら、それは不意に何かを思い出したような、戸惑いに近いものだった。
「あぁ……そうなんだ。災難だったね」
 表情は笑みでも口調におざなりな響きがあるのは否めなかった。彼女から振った話だったのに、急にテンション下がったぞ。なんだろ。俺おかしなことを言ったかな。
「おーい、お兄ちゃーん」
 聞き覚えのある声に振り返ると、紫がこちらへ向かって階段を下りてくるところだった。
「紫」
「あれ、夕佳里さん〜」
 紫の登場に、夕佳里さんは表情を和らげた。
「夕佳里さん……確か今日じゃなかったでしたっけ、アレ」
 紫の言葉に、夕佳里さんは「うん、終わったよ」と答えた。
 ……なんのことだろう。
「お兄ちゃん、ここなに? 何か始まるの?」
 紫はまだ誰もいないステージを見て不思議そうな表情を見せた。
「吹奏楽の演奏。徳田が団長やってるサークルの演奏だよ」
「あ、そっか。徳田さんトランペットやってるんだよね。これから始まるなんてタイミング良かったじゃん、私」
「お兄さん、こんにちはー」
 顔を上げると、相本さんがいた。その隣に同じく紫の友人と思われる女の子。胸あたりで切りそろえられたストレートの黒髪が揺れている、清楚な雰囲気の子だ。紫との会話で聞いたことがあるかもしれないが、初対面のその子の名前は思い出せなかった。
「紫の兄です。妹がいつも仲良くしていただいて」
 そう挨拶すると、
「斉藤美智子と申します。紫にはいつもお世話になっております」
 丁寧なお辞儀で返されたので面食らった。紫の友人で、お嬢様めいた口調で話す子がいるっていうのはこの子のことか。
 不意に、夕佳里さんが立ち上がった。
「あれ、夕佳里さん? どっか行っちゃうんですか」
 紫が声をかけると、夕佳里さんは振り向いて微笑した。
「もう少し前で見るから。またね、紫ちゃん」
 彼女は紙コップを手に数段降りて行った。よろけるのではないかと心配したが、さすがにそこまで酔ってはいなかったようだ。彼女がなんで昼間から飲酒していたのか、結局理由は不明のままだ。
「……なんか、お邪魔しちゃいました?」
 相本さんが申し訳なさそうに囁いたので「いや、いいよ」と僕は軽く答えた。
「じゃあ、俺は連れのところへ戻るから」
そう告げると、紫が「お兄ちゃん、誰と一緒なの」と言った。
「高崎だよ」
「あ、あたしも行く。ね、ちょっと兄貴の友達に挨拶してくるから、待っててよ」
「いいよ。あ、近くにトイレない?」
「トイレ? えーとね、そこの校舎入って、ちょっと行って左側にあったと思う」
 僕が口を出す前に、紫が簡潔に答えた。下見にきた成果が出てるじゃないか。
 紫を連れて階段を下りる。少しの間に人が増え、元いた場所へ行き着くのに倍の時間がかかった。
「なんだよお前、高崎に会いたいのか」
「久しぶりだし、ちょっと挨拶しようかと思って。この前は会えなかったしね」
 紫は階段を下りて高崎と浩二の近くまで行くと、僕に黙っているように仕草で示した。そして後ろからそっと忍び寄り、両手で高崎の目を隠した。
「わ、わっ? 誰や、佳月か?」
 ……俺がそんな行動を取ると思うこと自体が間違っているぞ。
「うふふ、だーれだ♥」
「え、え、え、だ、誰? 誰や?」
 高崎が焦っている横で、浩二が唖然としている。
 紫が手を放すと、高崎は勢い良く振り返った。
「あたしですよー、高崎さーん。こんにちはー」
「うわ、紫ちゃんかぁ。びっくりしたわー」
 2人が久しぶりの再会で盛り上っている横で、浩二が僕の方を見て言った。
「え、もしかして、佳月さんの妹……?」
「そう、妹」
「うわー、めっちゃ似てますやん。妹いるとは聞いてましたけど……へぇ」
 紫が浩二の方を向いたので、高崎が紹介する。
「紫ちゃん、こいつが俺の弟、浩二」
「あー、高崎さんとそっくりですねぇ。さすが兄弟ってカンジしますねぇ」
「紫ちゃんて、浩二と同い年ちゃうかった?」
「あたしは今高2です」
「あ、おないやな」
 同い年と言われて紫と浩二は顔を見合せた。紫が一つ高い段に立っているため、紫が浩二を見下ろす状態になっている。
「なんか紫ちゃんの方が大人っぽい感じするやん。マジめっちゃ可愛くなったなぁ」
「中身は浩二の方がしっかりしてると思うけどな」
 まぁどっちもまだまだ子どもっぽい、年相応の顔をしているけど。
「紫ちゃんも、相変わらずゲームしてんの」
「もー、何言ってるんですか。誰かさんと違って、私は勉強とバイトで忙しいんですよー」
勉強よりゲームしている時間が長いくせに、よく言うよ。
「じゃ、あたし友達のとこ戻るので、失礼しまーす」
 ぺこりと頭を下げ、紫は階段を駆け上がっていった。
「……佳月さん」
 浩二が僕の肩に手を置いた。
「ん?」
「妹めちゃ可愛いじゃないですか。スタイルもいいし。あ、あの、彼氏はいるんですか?」
 どいつもこいつも、紫の性格を知らんから。浩二じゃ振り回されるに決まっている。
「一応、彼はいるらしい」
 見たことないけど。本当にいるのだろうか、と思ったり……。
「えーそうなんや……残念や」
「浩二、紫よりいい女は星の数ほどいるって」
 僕は浩二の背中を叩いた。
「残念やったなぁ。もしかしたら俺とお前兄弟になったかもしれへんのに」
 高崎がのほほんと口にしたセリフに、僕は呆れてしまった。
「そこまで話をすっ飛ばすか。ありえねー」
「そうなると俺のが誕生日先やから、お兄さんになるんかな」
「やだな、お前のこと兄貴って呼ぶの」
 話している間に、SWEのメンバーがステージ上に姿を現した。全員衣装を黒のボトムと白のシャツというモノトーンで揃えている。徳田は正面より右側の後ろの方にいた。穂積さんは左側で、まゆちゃんがその隣にいる。
「ほらあれ、あそこの眼鏡かけてるヤツ、あいつが俺の友達やねんで」
 高崎が徳田を指したが、浩二にはわからなかったらしい。眼鏡をかけている団員は徳田だけじゃないぞ、高崎。
「え? わからんわ。なーんか顔ぼやけて見えるし」
「お前目ぇ悪くなったんちゃうか? マンガの読みすぎやろ、勉強せい勉強!」
「ちゃうって、勉強のしすぎで悪くなったんやって、マジ」
「へぇ〜、次の通知表が楽しみやな」
 愛あふれる兄弟の会話の途中で、指揮者が壇上にあがった。
「ほら、始まるぞ」
 僕らは前に向き直った。
「おっと、カメラカメラ。写真撮ったらんとな」
 高崎が鞄から使い捨てカメラを出した。
「ちょっと近くまで行って撮ってくる」
「おう。カッコいい徳田撮ってこいよ」
「よっしゃ、まかせろ」
 撮影は高崎に任せ、僕と浩二はそのまま演奏を聴いていた。
 前に徳田が芸池で練習していた時の曲もあったのが、なんか嬉しかった。誰も知らなくても、僕は彼が一生懸命練習していた姿を知っている。
 しばらくして高崎が戻ってきた。
「よし、バッチリ撮れた」
 そう自信満々に告げる。
「また端の方に自分の指とか入れてないよな」
「だーいじょうぶ、大丈夫。ちゃんと確認したって」
「本当だろうな。最初の学祭なんて、お前の写真、徳田の首切れてたじゃないか」
「あー、あれは、シャッター押そうとした時ハチが飛んできたからやってー」
 まぁ現像を楽しみにするとしよう。
 クラシックの曲だけでなくディズニー映画の主題歌もあり、普段吹奏楽に馴染みのない人間でも気軽に聴くことのできる内容だった。振り向いてみれば、階段の上には演奏を聴きつけて来たらしいかなりの人が集まって来ていた。メインステージの下手くそなコピーバンドなんて敵じゃないな。
 最後は1人の女の子が前に立って、挨拶をして終わった。
 僕たちは最後まで座って、彼らに拍手を送った。
「すごいなぁ、兄貴の友達」
 結局徳田がどこにいるのかわからなかった浩二だが、演奏には素直に感動を示した。
「俺あの曲知ってるよ、最後の曲の前に演奏してたやつ。あれも吹奏楽の曲やったんやなー」
「あーほ。あれは吹奏楽知らんやつでも楽しめるように選曲されてるだけで、吹奏楽の曲とはちゃうの。わかったか」
 以前高崎自身が徳田から言われた言葉を、今度は高崎が浩二に言っていた。
「でも、毎年すごいな。学祭のために、皆でずっと練習してるんやもんな」
 高崎はふっと息をついた。
「少ししたら徳田も団長引退かぁ。俺たちでお疲れ様飲み会でもしてやろっか」
「お、いいねぇ」
 この後徳田はサークルの店番などで忙しいとのことで、一緒に学祭を見回る時間はないらしい。
「じゃ、うちのサークルの店に行くか」
 高崎が促し、僕らは校内の中央通りにあるバイク同好会のサークルの店へ向かった。通りは百貨店の初売りさながらの混雑状態で、高崎を先頭にして次に浩二、最後に僕という順番ではぐれないように歩いた。
「あ、高崎君やん。佳月君まで連れてきて、売上げに貢献してくれんの?」
 店頭に立って呼び込みをしていた瀬戸さんが声をかけてきた。ゼミコンの時と同じチャイナ服に黒い上着という格好で、客寄せに使うのか手にタンバリンを持っていた。いつもより化粧(アイシャドウ?)が濃い気がするのは、大学祭というイベントだからだろうか(聞くに聞けないが)。
「あれ、この子高崎君の弟? そっくりやん。かーわいー」
「あ、は、はじめまして」
 浩二はいささか緊張気味に言った。年上の美人がしげしげと自分の顔を覗き込んでいるのだから無理もない。
「ほんとに高校生なん? お肌きれいやん。ふーん」
 瀬戸さんは意味ありげな笑みを浮かべ浩二に囁いた。
「ね、新しい自分を発見したいと思わへん?」
「え?」
 きょとんとしている浩二に、瀬戸さんは意味ありげな笑みを浮かべてにじり寄った。肩をぐっと抱き寄せるようにして、耳元で囁く。
「お姉さんがボクを変身させてあ・げ・る」
「瀬戸さーん、浩二がそっちの道に入ったらどうすんねんな。やめてって」
 高崎が苦笑まじりに2人を引き離した。浩二は目を白黒させている。よもや瀬戸さんが、自分に化粧を施そうとしていたなんて想像もつかないだろうな。
「そん時は牧さんのお友達の店で働かせてもらったら」
「かーづーきー」
 僕は詰め寄ろうとする高崎を押しとどめた。
「冗談、冗談だって」
「で、せっかくお店に来てくれたんやし、もちろん食べていくよね?」
 瀬戸さんがタンバリンを鳴らしながら声を張り上げて叫んだ。
「お客さん3名さまで〜す!」
 それに呼応して、店内で作業していた女の子が「ありがとうございま〜す」と声をあげた。すごい賑やかだ。
「あ、佳月君」
 店内にいた女の子の中に清水さんがいた。僕らに気づいて、瀬戸さんの隣にやってくる。彼女も瀬戸さんと同じくゼミコンの時のチャイナ服と上着を着ていたが、調理担当らしくエプロンをしていた。
「そういや、チケット買ってくれたよね?」
「あぁ、妹にあげたんだ」
 学祭自体来るか未定だったからな。
「あ、そうなん? 妹さんも来るの?」
「まだ来てないんちゃうかな。顔知らんけど、それらしい子は来てなかったと思うわ」
 瀬戸さんと清水さんは顔を見合わせた。
「佳月と顔似てるから、見たらわかるんちゃうかな」
 高崎がそう言うと、瀬戸さんはタンバリンを振った。
「へーぇ、そりゃ楽しみ。可愛い子やろね」 
「3人でくると思う」
「わー、大入りやわぁ。サービスしまっせー」
 話しながらも、瀬戸さんは呼び込みとしての仕事を忘れていない。急にくるりと向き直ると、通りがかった人に向かって「美味しいよー食べてってねー」と声をかけた。 
 僕はタコスという名前は聞いたことはあったけれど、実際に食べるのはこれが初めてだった。
生地から手作りかと思ったがさすがにそれは手間がかかるようで、市販のものを用意していた。それをフライパンで軽く温め、千切りキャベツと炒めたひき肉と玉ねぎをかける。その上からチューブに入ったソースを軽くかけて出来上がり。
「では、いただきます」
 辛目のソースの味もよく、生地もいい感じに温まっていて、なかなか美味しい。
「美味しいわー。この辛さがめっちゃいい〜」
「ほんと? このソース手作りしたんよ」
 浩二の言葉に、清水さんが嬉しそうに言った。
ソース手作りなんだ。手が込んでるな。
「あれ、佳月君、ここなんかケガしてるね」
 瀬戸さんが手を伸ばして僕の口元を指差した。
「え、あぁ……今朝切った」
 さっきの夕佳里さんの態度もあって、なんかこの件に関する返答に妙なためらいを覚えてしまう。
「ケガが目立たないようにしてあげようか?」
 含みのある笑いに、僕は「いやいや」と手を振って断った。瀬戸さん、僕に化粧しようと狙ってたな。
 僕の顎の切り傷に妙な反応を見せるのは夕佳里さんぐらいかな。理由がよくわからないが。
「あと、売り子よろしくです」
 高崎が瀬戸さんに言うと、瀬戸さんはタンバリンをチャラチャラ鳴らしながら笑顔を見せた。
「まかせてよ。この私が売り子やもん。今日は朝から結構いい調子なんよ」
 瀬戸さんてサービス業が似合うなぁ。うちの店の鈴木さんみたいだな。
 ペットボトルのお茶を飲みながら、造形学科の出展ブースを覗いてみた。一番興味を示したのは浩二で、茶碗や湯のみが並んだゴザの前に座り込んで商品を見比べている。
「これどうかな、お土産」
 浩二が茶碗の1つを手に取った。ご丁寧に箱までしつらえた、夫婦茶碗のようだった。多少形は歪さだったが、それがいかにも手作りという感じで、色味も穏やかで優しい雰囲気を漂わせていた。
「茶碗は今あるやろ。いらんのちゃうん」
 高崎は商品をよく見ようともせず答えた。そんな兄を見上げて浩二は続ける。
「でもおかんの茶碗ちょびっと欠けてたからなぁ……新しいの買ってもいいと思うんやけど」
「おかんの茶碗欠けてた? まさか」
 高崎の視線に、浩二はわざとらしく怯えて見せた。
「う、俺が皿洗いしてる時に落としました……」
「じゃあお前の小遣いで買えや」と、高崎はそんなことは言わない。
「しゃあないな。半分出したるから、割らないように持って買えれや」
 そう言って高崎は浩二の隣に屈み、鞄から財布を出した。
「じゃ、これ買います」
 浩二が売り子のお姉さんに声をかけると「家近い?」と売り子のお姉さんが尋ねた。
「いや、和歌山」
「じゃ頑丈に包んどくわ。ちょっと重くなるかもしれんけどそれは我慢してね」
 お姉さんは箱の中に緩衝材を詰め込んだ後、最後にカードを入れた。そこには手書きで制作者らしい名前と、こんな言葉が書かれていた。
『いつもおいしくご飯が食べられますように』
 丸文字の可愛い文字が微笑ましい。これはいいお土産になるな。
「ありがとね」
 もしかすると制作者かもしれない売り子のお姉さんの笑顔に手を振り、浩二は嬉しそうに袋を抱えた。食い意地の張った我が妹に見せてやりたい姿だな。
 そう思っていたら、人込みの中で再び紫と出会った。お祭りの雰囲気に酔っているらしく、かなりはしゃいでいる。
「ねーねー、芸大の学祭って面白いねぇ。さっきコスプレしてる人いたよ」
「あぁ、それはコスプレ愛好会だな」
 あの一団、今年は一体どんな格好をしているのだろう。一回生の時はセーラームーンだったが。
「あ、そうそう。さっき兄貴にもらったチケットの店行ったよ。美味しかった、ありがと」
 紫たちは入れ違いで店に行ったらしい。
「なんかきれいなお姉さんに、化粧してあげるって言われちゃったよ」
 瀬戸さんに捕まったらしいが、そのわりに紫は化粧をされていないようだった。
「してもらわなかったのか」
「んー、まだいろいろ食べたかったから、時間ないって断っちゃった」
 まさに色気より食い気だな。 
「次何食べようか迷っちゃって、ねぇ」
 紫が振り返ると、学祭のパンフレットを覗きこんでいた相本さんが顔を上げた。
「さっきの焼きそば屋さん美味しそうやったねー」
「コロッケもよろしくありません?」
「キャベツ焼きもあったよね。あれは?」
 この子達はもしかして、紫をリーダーにした学祭食い倒れチームか? 
「別に迷うことないじゃん。全部食べりゃいいんだから」
 紫の言葉に「それもそうね」と2人は頷いた。常日頃から高校の帰り道、近くの商店街で買い食いしていると思われる。相本さんにしてもこの斉藤さんにしても、結構食べるほうなんだな。紫だけじゃないのかもしれない。
……紫、太るなよ。
 兄の心中を察しているのかどうなのか、紫は友人を連れて立ち去った。あいつ、食べたいだけ食べてそれだけで帰るんじゃないだろうな。これで何事もなかったかのように夕食食ってたらある意味怖いな。
 食堂前のフリーマーケットの店を覗いていると、穂積さんとまゆちゃんにばったり出会った。会うなり穂積さんは僕の腕をとり「ちょっと失礼」と高崎に断ってから、ぐいぐいと引っ張って少し離れたところへ連れて行く。
「な、夕佳里、見ぃへんかった?」
 そう聞かれて、僕は演奏後から夕佳里さんの姿を見ていなかったことを思い出した。
「そういえば、どこに言ったんだろう……SWEの演奏が始める前に会ったんだけどね」
 演奏後は穂積さん達と合流するものだと思っていたから、演奏後の彼女の行方を気にしてはいなかったのだが。
「どこに行ったか知らんの?」
「一緒に演奏を聴いていたわけじゃないから」
「そっか……」
 穂積さんは僕の腕を離した。考え込むように、自分のアゴに手をあてる。
「約束はしてなかった?」
「何時に来るかわからないからって……」
 穂積さんは人ごみへ視線をやった。
「次に見つけたら、まゆちゃんのPHSにでも連絡してもらおうかなぁ……」
 まゆちゃんの方を向き「いい?」と確認をとる。
「いいよ、私の番号教えてくれて」
 僕はまゆちゃんからPHSの番号を聞き、携帯に登録した。まゆちゃんも僕からの電話がすぐわかるように、僕の番号を登録していた。
「じゃあ、見かけたらつかまえてね」
 穂積さんはまゆちゃんと共に去っていった。
「佳月さん、なんか用事やったん? 大丈夫?」
「いや、大丈夫」
 浩二の隣でパンフレットを眺めていた高崎が顔を上げた。
「よし、次はGレンジャー見に行こう」
 あ、そういえば見たいと思っていたんだよな、Gレンジャーか侍。
「Gレンジャーってなに」
 浩二が興味津々という表情で、高崎の持っているパンフレットを覗き込んだ。
「芸大の平和を守る戦士のこと」
「なんやそれー」

 芸大には、学内のサークルに疎い僕でももちろん、芸大生なら知っていて当たり前、他大学の学生でもその名を聞けば頷くほど有名なサークルがいくつかある。
 同人サークル「l'art pour l'art」。作家、シナリオライター、漫画家志望などの学生などが集まり、数人で1つの作品を創り上げる、言わば漫画家のCLAMPみたいな集団で、過去に複数回の入賞経験があり実績あるサークルでもある。そのサークルに所属していた卒業生で、プロになった人もいるとか。
 心霊現象、超常現象が大好きなメンバーが集まった「超常現象ミステリー研究会」。夏の合宿は心霊スポットへ行き、時々UFOを呼ぶ儀式も行っているという噂だ。見かけは普通の大学生だが、酒が入ると会話はかなりオタク度が増すという噂話を聞いたことがある。
 いわゆるストリートミュージシャン、路上で自作のアート作品を売る人達の集団「Wandering artist」。戎橋付近や天王寺、梅田の歩道橋の上が主な活動場所で、僕自身も何度か彼らの姿を見かけたことがある。
 そして、関西の雑誌の学祭特集でよく取り上げられているサークルが2つ。
 学内では雨天時以外着物を着用する規則があり、イベントでは時代劇仕立てのチャンバラを見せてくれる「侍魂(サムライスピリッツではなくさむらいだましいと読む)」。頭領の演劇学科の男性は時々食堂で見かけるが、長髪を後ろで束ねていてかなり侍な雰囲気を漂わせている人物だ。
  もう1つは「芸大の平和を守る戦士」と称する正義の味方、Gレンジャーが所属する「芸大戦隊」。団体ができた当時Gレンジャーは5人いたらしいが、僕が一回生の時の新入生歓迎会イベントではレッドだけだった(すでに戦隊じゃないな)。去年のイベントではレッドとブルーの2人……今年はどうなったのかな。
 この2つのサークルは学祭だけでなく年内に数回イベントを企画しているが、タイミングが合わずほとんど見逃している。せっかく学祭に来ているのだから、どっちかは見ていかないと損だ。
 Gレンジャーのイベントは10分ぐらい前に始まったばかりだったので、急いで見に行くことにした。
 場所は校舎と校舎の間でそれほど広くはなかったが、ステージの前は階段になっているので、皆そこに座って観覧していた。僕らはステージを前にして左側の校舎の壁際に立った。ステージの裏側が少し見えてしまう微妙な位置だが、正面に回ろうとするとかなり後ろになってしまうので仕方ない。
 敵のボスは顔に派手な化粧を施した男で、デーモン小暮みたいなコスチュームを身に着けていた。仮面をつけた黒ずくめの手下が10人、ボスを取り囲んで膝をついている。
「今日こそあいつらを倒す!」 
 マイクを手にボスがそう宣言すると、手下は拳を突き上げた。
「まずは、奴等をおびき出す作戦を実行するぞ。手下ども! この観客の中から、人質を連れて来い!」
 ボスの指示に、手下の5人が動いた。
 こっちには来ないだろうと思って見ていると、手下の一人がすぐ近くまでやってきて数人の顔を眺めていたが、おもむろに浩二の腕をつかんだ。
「わ、俺?」
 浩二が声をあげると、手下は頷き、腕をひっぱる。
「おいおい、兄貴助けてやらんのか」
「Gレンジャーが助けてくれるって」
 浩二は手下に引っ張られ、他の人質と共にボスの前に並ばされた。高校生ぐらいの女の子、年配の女性、80過ぎと思しきおじいちゃん(大丈夫か……)、小学生ぐらいの男の子、そして浩二。
「いいかお前ら、痛い目に合いたくなかったら、声を合わせてGレンジャーに助けを求めるんだ! 『助けて、Gレンジャー!』と叫べ!」
 ボスがそう叫ぶと、手下が手にしていた武器を突きつけて脅したが、人質の女子高生は怖がるどころか笑っている。
 1回目は「声が小さい」と言われて、5人は再び助けを呼んだ。一番声が出そうな浩二が小学生に負けているなぁ。
 2回叫んだものの、Gレンジャーは出てこなかった。
「仕方ないな。おい手下ども、こいつらを痛めつけて……」
「待てー!」
 音楽が一転する。どこから来るのかと思っていると、彼らは観客の後ろの方から登場した。
「Gレンジャー・レッド!」
「Gレンジャー・ブルー!」
「Gレンジャー・グリーン!」
 一人一人名乗りをあげ、ステージの中央で3人揃ってポーズを決める。今年は3人に増えたらしい。
「Gレンジャー参上!」
 どっと拍手がおこった。最前列にいた子どもが大喜びで声をあげる。
「おぉー出た出た」
「人数増えたなぁ」
 僕と高崎は周りに合わせて拍手した。
Gレンジャーは仮面をかぶっているので、セリフは他の部員が声優を務めている。Gレンジャー3人、声優3人、手下も増えているし、今年の入部者はよほど多かったんだろうな。また戦隊が復活するかもしれない。
「出たな、Gレンジャー!」
「汚いやつらめ! 人質を解放しろ!」
 レッドが進み出て、ボスと向かい合った。
「ふん、貴様らが出てくれば、こいつらにもう用はない!」
 ボスが手にしていた剣を振ると、手下が浩二たちを脇へ下がらせた。
「いやー、びっくりしたびっくりした」
 汗を拭いながら浩二が戻ってきた。
「なんか緊張したわー」
「ちゃんと写真撮ったぞ。お前が悪役に捕まってるとこ」
「うっわ、マジー」
「現像できたらおかんに送ったるし」
「わ、バカにされるやん」
「お前に彼女できたら、絶対見せたろ」
「そんなこと言うんやったら、俺やって兄貴の彼女に、兄貴がおたふく風邪で顔腫らしてる写真見せたんで」
「うっ」
 高崎が言葉を詰まらせた。
「あったんか、そんなもん……」
「おかんがちゃーんと取ってんねんで! どうや!」
 高崎と浩二を見ながら、僕は紫と言い合いするときは気をつけようとしみじみ思った。家族だけが知る弱みって多いからな。
 Gレンジャーと悪の格闘は10分ほど続いたが、正義は勝つということで、戦いはGレンジャーの勝利に終わった。
『ありがとう、Gレンジャー。彼らのおかげで、今日も芸大の平和は守られている』
 そのナレーションで『芸大戦隊』のイベントは終了した。
 イベントが終わっても、子どもたちはGレンジャーの周りに集まっていた。サービス精神旺盛な人達らしく、Gレンジャーは子どもとの写真撮影に応えている。仮面とコスチュームで暑いだろうに。
「面白かったわー。こんなサークルあんねんな」
「小さい頃こういうショーを見に、お前をデパートの屋上とかに連れてったったこと、覚えてるか?」
「あー行った行った。棒付きアメ買ってもらって、一緒に見てたよな」
 次のあてもなく場所を移動しようと歩き出した時、
「高崎! 佳月!」
 大声で呼ばれて、僕と高崎はそちらへ振り返った。
「え、あれ?」
「川村?」
 高校時代の友人川村が、手を振りながら走り寄ってきた。
「うわー」
「逃げろー」
 ふざけて高崎と一緒に逃げかけて、すぐ川村に追いつかれた。
「お前ら……なんで逃げんねん」
「いや、走ってきたから」
「なぁ」
 久しぶりに会った川村を目の前にすると、高校時代と随分雰囲気が変わっていることに気づいた。
「お前すごい痩せたなぁ。というより、たくましくなったのか?」
 川村の肩を軽く小突くと、彼は声をあげて笑った。
「やろー? 大学入って、柔道始めたからなぁ」
「なんや、高校のときは運動なんて全然せぇへんかったくせに」
「いやいや、これが意外と性にあっててさ、今じゃ大会にも出てる」
「へーすげー」
 彼は僕と高崎を交互に眺めた。
「で、お前らは今どうしてるん。佳月はゲームで高崎はバイトか?」
 外れてはいないけど、僕の話と言えばゲームしか連想されないんだな。まぁ仕方ない。
「お前名古屋にいるんじゃなかったっけ?」
 高崎が前にそう言っていたはずだったが。
「そりゃ俺じゃなくて、下田やな。あいつ一浪してN…大学の経済学部に入ってん」
「へぇ、そうだったのか」
「俺はO…工業大学の工学部だよ」
「あ、そっかそっか。お前絶対家から近いところがいいって宣言してたっけ」
「そうそう」
 川村は僕の言葉に頷いた。
「しっかし、ほんと嬉しいわ。こんな偶然に会えるとは思ってなかったし。俺去年も来てめっちゃ探したけど、会われへんかったから」
 僕は去年の学祭は来てなかったしな。高崎はサークルの関係で来ていたと思うが会えなかったようだ。 
「そのコ高崎の弟やんなぁ」
 川村は浩二を指した。
「さっき前に出てたとき、めっちゃ似てたから、あれ? って思っててんけど、やっぱ」
「そ、俺の弟」
「まじ、めっちゃ似てるやん。高校のときの高崎を思い出すなぁ」
「佳月の妹も学祭着てるんやで」
「えーそうなんか。確か佳月のとこも似てたよな。見たらすぐわかるかも」
「買い食いしている女子高生3人組がいたら、一番背が高くて食い意地張ってそうなのが俺の妹だよ」
「なんや、それ。可愛い妹のやのに」
 互いの携帯電話の番号を教えあい、登録する。携帯をしまうと、川村は周囲を見回した。
「なぁ、高山と三田には会わんかった?」
「え」 
「来るって言ってたんやけどな、2人とも。たぶん来てると思うけど」
「……」
 高校時代愛子に片思いしていたという川村から、愛子の名前を聞くのはなんか複雑だった。
「三田さんて結婚したんだよな。高校の時告白した先輩と」
「そうそう。あぁ、そういや言ってたな。バイト中の佳月に会ったって。お前梅田の地下街でバイトしてんねんな。今度店行くよ。いついったら会えるんかな」
「土日の朝が多いな」
「わかった。そのうち行くわ。サークルの連中とよく梅田出るからさ」
「よろしく」
「お前、一人で来てるわけちゃうやんな」
 高崎が川村にそう言うと、彼は少し口ごもった。
「いや、彼女と……」
 川村が振り返った先には、1人の女の子が立っていた。僕たちの視線を受けて、女の子ははにかみながらも笑みを見せた。
「なーんや、彼女と一緒に来てたんか」
高崎が冷やかし気味に言うと、川村は照れくさそうに頭をかいた。
「同じ大学の女の子か?」
「いや、彼女はK…女子大。コンパで知り合って」
「えぇ? K…女子大? マジ?」
「お前の口から『コンパで知り合った』なんてセリフ聞くとは思わなかったよ」
僕と高崎の言葉に、川村は真っ赤になって照れまくった。
「あんまり彼女待たせたら悪いな」 
「ま、もうすぐ同窓会もあるしな。また皆で会えるし、酒飲みながら語ろうや」
「おう」
 川村と彼女が立ち去っていく姿を見送ってから、 
「懐かしいヤツに会ったなぁ。高校のヤツラ、今ごろどうしてんのかな」
 高崎がそうつぶやいた。
「高山と三田も来てるんか……どっかで会うかな?」
「……」
 黙っていると、高崎は僕の顔をちらっと見た。
「会いたくないと思ってるん?」
「……別に、会いたくないとは思ってない」
「複雑な心境やな」
 高崎は嘆息した。
「俺も例の女子高生とは会いたくないし」
 僕と愛子、お前と女子高生の場合ではちょっと違うんだが。
そうは思ったが、口にはしなかった。
 まぁ、いいや。会ったら会ったでその時はその時だ。なんとでもなってくれ。
「さて、次はどこへ行くか。まだまだ時間はあるしな」
「あ、兄貴、この自主制作映画ってどない?」
「今からだと時間が中途半端やな。次の上映開始が1時間後じゃ」
 次の移動先選びを高崎と浩二に任せ、僕は行き交う人の波を眺めていた。
 愛子は今、どんな姿になってるのかな。高校の時はスカートを短くしたり化粧をするタイプではなかったが、確か進学先は女子大だったし、周りに感化されることだってある。外見が別人みたいに変わっているかもしれない。
 ……最悪のケースを考えておけば、受けるショックは少なくていいよな。俺の一番苦手なタイプを想像しておこう。金髪で、化粧が派手で、超ミニスカートで、露出度が高くて、高級ブランドバッグで……って、そんな格好の愛子はとても思い浮かばない。さすがにそこまで激変はしてないだろう。
「この7号館って、どこにあるん?」
「7号館? ここからまっすぐ……え、あれ? 高山?」
 ふっと高崎がそう口にしたので、僕も同じ方向を向き直った。
「? どこに?」
「……と思ったら、別人やった」
 彼は「悪い」と言いながら、僕の顔を覗き込んだ。
「今、ちょっとびくっとした?」
「別に」
 考え事をしていたせいか反応が鈍くなっていて、驚きはしなかった。
「どれも時間があわへんなぁ」
 浩二がパンフレットをめくった。
「どれか見たいやつ絞って、それに合わせて時間潰すようにするか?」
「んー……」
 浩二と高崎が決めかねているので、僕もパンフを覗き込んだ。
「これだったら、今から30分ぐらいで次の回が」
「うわぉ、おぉ」
 高崎が声をあげた。さっきとは比べ物にならない、驚きに満ちた声だった。
「な、なんだよ」
 ……今度は本当にびっくりした。
 落ち着け。落ち着け、俺。
「え、どうしてん、兄貴」
 2人を見つけただけで、高崎がそんな声を出すとは思えない。本当に愛子が激変したのか。
 よし、超ミニスカだろうと金髪だろうと、人間時が経てば変わるんだ、俺は驚かない、驚かないぞ。
「なんだよ。高山と三田さんか」
 一瞬で心の準備を済ませ僕は高崎の返事を待ったが、彼の返事は意外なものだった。
「いや、高山と三田じゃなくて、澁谷先生」
 がくっ。
 高崎の指した方向を見ると、確かに澁谷先生がいた。一緒にいるのは、友人である『カイト』の店長さん。名前なんだっけ……なんとか香衣さん。
「なんだよ、澁谷先生がいたっておかしくないだろ」
 呆れてそう言うと、高崎は真面目に言い返してきた。
「え、だって、あの澁谷先生が、ポニーテールでジーンズでたこ焼きだぞ? 驚くだろ、これは」
 確かに先生が髪をポニーテールに結い上げ、ジーンズ姿でたこ焼きを食べながら歩いているのは驚きに値するが……大声を出すほどでもない。
「あら」
 先生は僕らに気づくと、口元を指で拭い、いつもの笑みを見せた。当たり前かもしれないが、格好は違っても笑い方は一緒だな。ジーンズと淡いブルーのカットソーという、先生にしてはかなりカジュアルな格好だった。そういや以前梅田で会った時もジーンズ姿だったな。
 隣の香衣さんの方は、スパンコールがきらめく黒レースのカーディガンに胸元が際どいキャミソールという組み合わせで、細身のパンツを履いている。肩にかけているのは、どうもプラダのリュックらしい。この前店で会ったときは気づかなかったが、腰ほどまである長いウェーブヘアはオレンジ系統の茶色だった。美人のうえにスリムでモデルさんのような体型なので、派手な格好でも嫌味がない。
 ただ、この2人が一緒に歩いているのを見ると、どうもタイプが違いすぎるという感は否めないな……。
「ど、どうも、こんにちは……」
 高崎はいまだに先生に話しかけるだけで緊張するのか。僕にしたら、先生の微笑も意味ありげな言動も慣れ……いや、完全に慣れてはいないか。たまに、ちょっとドキドキする。
「高崎君だったわね。こちらは弟さんかしら。よく似てるわね」
「あ、兄がお、お世話にな、てます……」
 先生に微笑みかけられ、浩二まで緊張したのかどもっていた。こんなところまで兄にそっくりなのか。年上の美人に弱いんだな。
「先日は、お店でありがとうございました」
 香衣さんにも挨拶。あの時は結構サービスしてもらったようなので、お礼言っておくべきだよな。
「うん、また来てねぇ。雅美の教え子ならいつでも大歓迎よ」
 彼女は長身のうえに高いヒールのサンダルを履いていた。この目線の角度で女性と話すことなんてめったにない。
 香衣さんは先生の方へ向き直り、僕の方を指して言った。
「ねぇ、雅美。前にお店で見たときちらっと思ったんだけどさーあ、このコ、ピアノの君にちょっと似てなぁい?」
 先生は何も言わず、微笑で答える。僕は「ピアノの君って誰ですか?」と聞くこともなく、戸惑ったようなフリをしてやり過ごした。
 ピアノの君というのは、たぶん片山氏のことだろう。香衣さんも彼のことを知っているらしい。一緒の大学だったのだから、知っていても不思議ではない。
「先生も学祭に来るんですね」
「学生に戻った気分になれるし、毎年1日は来ているわ」
「SWEの演奏も聴いてたんですか?」
「徳田君が団長のサークルね。聴いていたわよ」
 不意に先生は「ねぇ、佳月君」と声を小さくして、僕にだけ聞こえるように言った。
「彼女、今日は男性と一緒だったけど、いいのかしら」
「え?」
 彼女、彼女……って、夕佳里さんのことか。夕佳里さんが一緒に学祭に来る男性と言えば、1人しか思いつかない。
「それって、中肉中背で、温和そうな顔立ちの人ですか」
 瀬川さんの特徴を口にすると、先生は少し頭を傾げた。
「背が高くて、なかなか端整な顔立ちの人だったわよ」
 予想外の返事だった。
「え、そう、ですか……」
 背が高くて、端整な顔立ち……夕佳里さんと付き合いのある男性でそんな人がいるのか? まさか牧さんが夕佳里さんと一緒に学祭に……いや、それだったら牧さんは僕に教えてくれるはずだ。誰だろう。
 先生は困惑している僕に微笑むと、香衣さんと一緒に立ち去ってしまった。
「いやぁ、美人はどんな格好しても似合うんやなぁ……」
「あんなきれいな先生っておるんやなぁ……」
 高崎がぽつりとつぶやいた。隣で浩二もぼんやりしている。最後の微笑にあてられたらしい。
 やれやれ。
 
 結局その後、夕佳里さんと愛子、どちらにも会うことがなかった。
 プレステなどの荷物を置きっぱなしだったので、僕は高崎兄弟と一緒に高崎の家に戻った。
 浩二も僕と同じタイミングで帰るというので、一緒に帰り支度をしていた。浩二は着替えぐらいしか持ってこなかったようだが、プレステやゲームソフトを持ってきた僕は結構大荷物だった。友人の家に泊まりにきただけなのに、まるで旅行者みたいだ。
高崎は自転車を押して駅まで見送りにきた。この後バイトとだというから、元気というか働き者というか。
「おかんの手伝い、よろしくな」
「おう」
「茶碗割るなよ」
 浩二は苦笑で答えた。
「じゃあな」
「佳月さんも、お元気で」
 浩二は茶碗の入った紙袋を大切そうに抱えて電車に乗り込んだ。
 高崎と共に浩二を見送ってから、僕は反対側の電車に乗った。
 今日はそんなに動き回ったつもりはないのだが、昨日遅くまで遊んでいたせいだろう。まだ6時過ぎだというのに、妙に眠かった。夕食食べたらすぐ寝てしまおうかな。
 家に帰り着き、いるはずの母親に「ただいま」と呼びかけてみたものの、まったく返事がなかった。
 妙に静かだ。どうも母親は不在のようだった。買い物か、ごみ捨てか、どっちかだろうな。
「紫?」
 紫の部屋をノックすると、中からうめきにも似た声が聞こえてきた。
 なんだ? 僕がいない間に何か事件でも起こったか?
「おーい」
 ドアを開けると、ロフトベッドの上で紫がうつぶせになって寝ていた。
 僕はドアをがんがん叩いて紫を起こした。
「こんな時間から寝てるのかよ。お母さんは? 買い物か?」
「お母さんは……ねぇ、お父さんと映画に行った」
 枕から顔を上げようとせず、紫はもごもごと答えた。
「映画なぁ。夕食どうするんだろ」
 僕がそうつぶやくと、紫はがばっと顔をあげた。頬にシーツのシワが入ってら。
「え、お兄ちゃん、夕食いらないんじゃなかったの」
……。
「なんで、誰がそんなことを」
「だって、たぶんお兄ちゃんも学祭でなんか食べてくるから、夕食いらないよーってお母さんに言ったの。そしたらお母さん、嬉しそうにお父さんと出かけた」
「学祭で夕食いらないほど買い食いしてんのはお前だけだよ」
 仕方ないので、自分で何か作ろうと冷蔵庫をあさった。えーと……焼きうどんがあるな。これでいいや。
 僕が野菜を出していると、紫があくびをしながら台所へやってきた。
「あ、お兄ちゃん何か作るのー?」
「焼きうどん」
「あたしも食べるー。作ってー作ってー」
  あんまりうるさいので、仕方なく2人分の野菜を切る。「お兄ちゃん、私が作るよ」って言葉を期待するだけ無駄だったな。紫が料理を作ってくれるようになるのはいつのことやら。
「お前、今日学祭で何を食べてきたんだ」
「え? タコスでしょー、コロッケでしょー、ドーナツでしょー」
 紫は「でしょー」と繰り返しながら学祭で食べたものを挙げた。
「キャベツ焼きでしょー、フライドチキンでしょー。そんなものかなぁ」
 ……穂積さんと大食い勝負したら、どっちが勝つだろう。
 そんなことを考えながら、僕は中華鍋に切った野菜を放り込んだ。おっと、換気扇をつけないとな。
「そーだ。タコスの店で、前に兄貴のバイト先に来たナンパ野郎に会ったよ」
「ん?」
 バイト先に来たナンパ野郎……前倉か。
「挨拶したのか」
「んーん、タコス食べてたからね」
 紫はふふふと笑った。口が空いていればどんなことを言っていたのやら。
「そういやお前、今日夕佳里さんに会ったか? あの演奏ステージ以降に」
「あの演奏の後? うん、会った会った。タコス食べた後、会った」
 紫は「そうそう」と思い出したように付け加えた。
「瀬川さんてお兄さんと一緒にいたよ。あの人も芸大の卒業生なんだってね。兄貴の先輩さんなんだよね」
「あ、あぁ……」
 ……瀬川さんと? じゃあ澁谷先生が見た、夕佳里さんと一緒にいた男性っていうのは……。
『背が高くて、なかなか端整な顔立ちの人だったわよ』
 一万歩譲って、瀬川さんが先生好みだったとしても、瀬川さんは170センチぐらいの身長だったから、背が高いという表現には当てはまらないな。
 紫が見たときと、先生が見たときでは、夕佳里さんと一緒にいた人物は違うのか? やっぱり一緒にいたのは牧さんなのかもしれない。おそらく彼女は、瀬川さんと牧さんと一緒に学祭に来たんだろう。
「ね、お兄ちゃん」
「ん?」
 調味料をとろうとしたついでに振り向くと、紫は冷蔵庫にもたれて僕の方を向いて立っていた。
「今日の学祭ってさぁ、お兄ちゃんの高校の同級生とかって来てたんじゃない?」
「あぁ、友達に会ったよ」
「あ、やっぱり? 見かけたよ、兄貴の知り合い。ちょっと外見変わってたから、最初わからなかったけどさぁ」
 川村のことかな。確かに彼は体格が変わっていたが。
「お前、よく俺の友達の顔覚えてたな」
「え、だって家に何回か着たじゃない。一緒にゲームもしたし。ねぇ」
 川村も家に来たことはあるが、紫を交えて一緒にゲームをしたことはない。そんなことをしたのは、高崎と愛子だけだ。
 振り向くと、紫は「わかった?」と言いたげな視線を送ってきた。僕は素知らぬ振りをして「皿出しといて」と紫に指示した。
「可愛かったよ。髪もパーマかけてて、なんていうの、キュートって感じ?」
 僕が関心を示さないのに不満を感じたのか、紫は愛子の話を続けた。
「もったいないなぁ。……あ、でも大学でもきれいな人いっぱいいるし、出会いには事欠かないか」
「お兄ちゃんは彼女探しに大学行ってるわけじゃないからな」
「あ、バイト先っていう選択肢もあるね」
 ……俺の話を聞いてるのか、こいつは。
「そりゃお前だろ」
 僕が言い返すと、紫は珍しく真面目な口調でこう言った。
「一緒に働いてる相手っていいよぉ。だって仕事に対する考え方とかいろいろわかるじゃない。勉強だけできてもだめだよ。付き合うなら、しっかりした相手じゃないとさ」
 へー。
 僕は炒めていた野菜にうどんを入れて箸でほぐした。
 で、備え付けのソースも投入……っと。
「お前がそんな考え方してるなんて意外だった」
「妹は兄貴が考えるより賢く育ってるんだよ。見直した?」
 紫らしい、わざと偉ぶったような返事が返ってきた。この小生意気な性格の紫と、付き合いたいという相手が想像つかない。蓼食う虫も好き好きという言葉の重みを感じるな。
「まぁ、実際お前がお付き合いしている相手を見ないと、評価は確定しないけどな」
「あ、会う? 会いたい? 会わせてあげよっか」
 こいつ、ほんとに三段活用好きだな。僕がどうしても紫の彼氏に会いたいみたいじゃないか。 
「向こうも兄貴に会いたいって言ってたし。どう?」
 紫は冷蔵庫からお茶のボトルを取り出した。調理は手伝わないが、お茶の用意はしてくれているらしい。ついでに箸も出しておいてくれるといいのだが。
「まぁ、機会があればな。梅田でお茶ぐらいなら出してやるよ」
「わーい。じゃあケーキバイキングにしよー。調べとくねー」
 ……お茶がどうしてケーキバイキングになるんだ。
 真剣に、紫の将来が心配になってきた。どうか彼氏が止めてくれますように。
 そう思いながら、焼きうどんを皿に盛り付ける時、自分の分を2割増しにしておいた。これが兄として妹にできるささやかな思いやりだな。
「え、あれ? なんか兄貴の方が量多くない?」
 自分の前に置かれた皿を見て、紫が文句を言った。
「作ってもらっておいてうるさいな。黙って食え」
「強欲な兄貴を持って、あたしってばかわいそー」
 ……兄の気持ちがわからんやつめ。
離れずに暖めて
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10