Time Has Come
 
 
 
離れずに暖めて 11
『僕たち、どこまでも一緒に行こうね』
『あぁ、きっと行くよ』
 青い猫の言葉に、赤い猫は頷いた。しかし、赤い猫の反応はどことなく冷めている。彼にはわかっているのだ。その言葉が実現されないことを。
 僕はサイドテーブルに置いていたカップのコーヒーを飲んだ。……砂糖を入れすぎたらしい。少し甘味が気に障った。甘味に過ぎるコーヒーを飲むぐらいなら、ブラックで飲んだ方がマシだったな。
『カンパネルラ!!』
 青い猫は赤い猫の名前を叫びながら、突然姿を消した友人を追いかけていった。
「お兄ちゃん、なに見てんの」
 紫がやってきた。テレビ画面を見て声をあげる。
「あ、懐かしー。『これ銀河鉄道の夜』じゃない」
「あぁ」
 僕は画面から目を離さず答える。
「まだこのビデオあったんだねー」
 紫は僕の隣に座った。一緒に見るつもりなのか知らないが、もう終わるんだが。
「ねーねー、どうしてこれって猫の姿なの?」
 僕がききたい。
 今、僕は『銀河鉄道の夜』のアニメを見ている。それというのも、最近買った『無意識の組曲』という本に宮沢賢治の話が載っていたので、なんとなく久しぶりに見たくなったのだ。ちょうど家にビデオもあったことだし。
「私思うんだけどね、カンパネルラのお父さんって冷めてるよねぇ。息子が水死したってのに、すごい冷静なんだもん」
 紫はテレビをさしながら言った。
「『もうだめです。落ちてから45分たちましたから』なんて言ってさ」
 ……確かにな。
 ジョバンニが家に向かって走り出し、物語は終わった。
 僕はリモコンを手にして、巻き戻しのボタンを押した。テープが古いせいかきゅるきゅる音がしている。もう寿命かな。
「なんでまた、こんなの見てたのさ」
「読んでいた本に、『銀河鉄道の夜』のことが載ってたから」
 でもアニメ見るより、原作読んだ方がよかったかもな……ま、本も家にあることだから、そのうち読もうかな。短い話だから、すぐ読み終わるだろう。
「ねー、お兄ちゃん、対戦しよ、対戦」
 紫がゲームのコントローラーを手に言った。
「また今度な」
僕は紫の頭をぽんぽんと叩いて立ち上がった。
「お兄ちゃんは目が疲れたから部屋に帰ります」
「えー、最近全然してないじゃん。やろうよー」
 紫は足をばたばたさせた。
 まったく、小学生みたいな仕草だ。一昨年まで男みたいな格好してたとはとても思えない。中身はガキのままか。
「はいはい、お前も遊んでばかりいないで勉強しなさい」
「うわーつまんなーい」
 紫の文句を背に、僕は部屋に戻った。
 僕は椅子に座ると、『無意識の組曲』をめくった。最初は単に小難しい本だと思っていたが、なかなか読み応えがある。この本でとりあげられているのは、宮沢賢治……はとりあえず知っているが、シューマン、ポール・デルヴォー……音楽家と画家か。こちらはあまり知らんな。
 僕はシューマンに関する部分を拾い読みした。彼は晩年精神を病み、精神病院で死ぬ……なんか壮絶だな。シューマンてどんな作曲家だったか、よく覚えていない。タテロールのヘアスタイルの音楽家だったかな。それはモーツァルトか。
 待てよ、シューマン、シューマン……僕は口の中で繰り返した。
そういや、徳田が卒論に書くって言っていたのもシューマンだったな。そっか、彼に聞けば、シューマンについて詳しいことがわかるはずだ。なんたって研究してるんだから。
 

「……シューマンは詩人になりたかったそうだ」
 徳田はそこで一旦言葉を切り、そして続けた。
「彼の若い頃のピアノ曲は、一世代前の文学者に多くの影響を受けている。いわゆるドイツロマン主義文学ってやつにだ」
 彼は話しながら、自分の手元の視線を落とした。彼が熱をいれて語りだすと、仕草が変わるからすぐわかる。理屈っぽく語る時は顔をあげて淡々と言うのに、自分の入れ込んでいるものを語る時はやや目を伏せるのだ。そして時折、話の合間に笑みさえ浮かべる。
「不思議だった……俺はいつも言葉よりも音楽を優位に考えていた。シューマンが影響されたロマン派の作家たちもそうだ。なのに彼はその彼らの言葉から、優れた音楽を紡ぎだした」
 こういう時の徳田には、相槌はいらない。たまに相槌がないと話す気になれないという人もいるが……耳を傾けているだけで、十分だった。
「シューマンは死ぬまで、いや、狂気に陥るまで、言葉と音楽の狭間で揺れつづけた。ワーグナーのように大言壮語を吐くこともなく、雄々しく口をつぐみながら、彼はひたすら言葉と音に耳を傾けた。そして最後にはその世界に滑り落ちていった……」
 彼は自分の言葉の余韻を味わうように、一度口を閉じた。もしくは僕の頭の中に今の彼の言葉が残るよう、考えて間をあけてくれたのかも知れない。この彼の独特の間が、結構好きだ。
「俺は音楽家じゃない。こんな勉強をしているにもかかわらず、小説も書けない。だが二つの狭間で揺れる俺自身の曖昧さが、シューマンへの共感を生むんだ」
 そう言って、彼は普段の口調に戻り皮肉っぽい眼で「シューマンはあの世で迷惑がっているかも知れんが」と付け足した。
 どうやら話は一段落したらしい。
「……と、まぁ簡単に言うと、こんなものだが」
 徳田は、こほんとわざとらしく咳払いした。
「役に立ったか?」
 聞かれて、僕は笑いを浮かべた。
「……あ、あぁ」
 翌日学校で徳田に会った僕は、早速シューマンについて尋ねたのだが……その長いこと。彼があまりに嬉々として話していたので、僕はどうしても中断させることができなかった。
「シューマンの奥さんも、有名なピアニストだったんだよね」
 夕佳里さんが言った。彼女はたまたまこの場に居合わせたために、徳田の話を聞くことになったのだ。
「そう、クララか。その当時はシューマンよりも有名だったらしい」
 僕は隣で喋っている二人の目を盗んで時計を見た。……約25分か。これで簡単に言ったって? 
「芸術家って、精神を病む人が多いよね」
 夕佳里さんは言った。
「シューマンも然り、ロダンの愛人の彫刻家も……」
「芸術家にはよくあることみたいだな」
 でもシューマンの場合は、必ずしも狂気が全てを負の方向に導いたわけではなかったようだ。僕が本を読んだかぎりでは。
「俺はそろそろ行くよ。次の授業があるんでね」
 徳田は時計を見た。
「ああ、いい時間だ。機会があれば、またシューマンについて語ってやるよ」
 まだ言い足りないらしい。
「……あぁ、またな」
「じゃあね」
 徳田が出て行くと、教室内は僕と夕佳里さんだけになった。 
「徳田にシューマンのことをきいたのは間違いだったかな」
 僕が空を仰いでため息混じりに言うと、夕佳里さんは笑った。
「でもまだ抑えた方じゃないの? 音楽にはあまり関心のない佳月君相手だもの」
 ……そうかもな。
「それにしても、長かったね」
 僕らは顔を見合わせて笑った。
「でも俺、徳田が語るのきくの嫌いじゃないんだ」
 僕が言うと、夕佳里さんは無言で僕を見た。その眼に促され、僕は続けた。
「さっきシューマンのことを語りながら、自分のことも重ねて言ったりしてただろ? 徳田は滅多に自分のことを語らないから、こういう時に関係ないような話の中から、彼自身のことをきけるのは、なんていうか……貴重な機会というか……」
「うん、そうだね」
 夕佳里さんは頷いた。
「わかる」
 彼女がそう言ってくれたので、僕はその話題についてはそれ以上言わなかった。
「今日もじめじめした天気だね」
 夕佳里さんは窓の外に眼をやった。朝から降っている雨は、昼になってもまだ止む気配はない。強い雨ではないのだが、傘を差さずには過ごせないくらいの強さだ。外は湿度が高くじめっとしているが、教室の中はもう冷房が入っているので、半そでのシャツを着ている僕は寒いぐらいだった。夕佳里さんのほうは薄い長袖の上着を着ているので、平気そうな顔をしていたが。
 7月か……梅雨があけるまでもうしばらくかかりそうだ。
「もうすぐ夏休みだね」
「そうだね」
 僕が言うと、夕佳里さんは鞄の中からお茶のペットボトルを出しながら言った。
「佳月君は夏休み、なにか予定あるの?」
「別にない。バイトで稼ぐつもりだけど。どこか遠出したいとは思ってるんだけどね」
「白浜行ったらいいじゃない、白浜」
「俺行ったよ。一回の時。高崎と徳田で」
「あはは、行ったんだ。私も一回の時行ったよ」
 学校の施設が白浜にあるので、学生と関係者は格安で泊まれるのだが、大抵はサークルの合宿で使われている。徳田は去年もサークル関係で白浜に行っていた。下手すると今年も行く羽目になるかも知れないとボヤいていたような。
「穂積さんと二人で行ったんだ?」
 僕が聞くと、夕佳里さんは首を振った。
「いや、4人だったよ」
「4人?」
 そういや夕佳里さんが穂積さん以外の人と一緒にいるのを見たことがない気がするが、そりゃ他に友達がいないわけでもないよな。
「うん、私と圭ちゃんと、清水さんと瀬戸さんの4人で」
「え……?」
 僕は思わず聞き返した。
「え?」
 僕の言葉に、彼女は戸惑いの表情を浮かべた。
 なんで穂積さんと清水さんが一緒に白浜行くんだろう。しかもその話をさらりと夕佳里さんが口にするっていうのはどういうことだろう。彼女は穂積さんと清水さんが険悪な間だということを知らないのだろうか。
 推測するに、清水さんと穂積さんは一回の時は仲がよかった。でもその後二人の間に何かがあって、仲が険悪になった。それを夕佳里さんは知らない。
もしくは、穂積さんと清水さんの仲が険悪だと僕が知っていると言うことを、夕佳里さんは知らない……どっちかだな。
 夕佳里さんが怪訝そうな顔をしたので、僕は話題を変えることにした。
「君は実家に帰るの?」
 夕佳里さんはペットボトルを鞄にしまうと、どこかぎこちない笑みを浮かべて首を振った。今日は結ばれていない長い髪が揺れる。
「ううん、帰らないと思う」
 ……そういや、実家と言っても養父母の家だっけ。失敗。あまりふらない方がいい話題だったかな。
「私も短期でバイトするから、実家に帰るヒマないかも」
 その言葉は、ムリに付け足した言い訳のように聞こえないでもなかったが、話の流れから、僕は「なんのバイト?」と尋ねた。
「ん、食品製造の工場」
 あぁ、工場か。徳田も前に年末に行ってたのが工場だったな。稼げるが、結構大変だと言っていたが。
「……佳月君、お昼食べた?」
 思い出したように夕佳里さんが言った。
「いや、食べてない。君は?」
「うん……学食行く? 私もこれからだから」
 とりあえず教室を出て、食堂の方に向かうことにした。
「そういえば、映画って今月だったよね。いつ行く?」
 夕佳里さんが折りたたみの傘を開きながら言った。
「あ、うん」
まだいつ行くか決めてなかったっけ。
 僕は夕佳里さんの方を振り返った。
「なんなら今から行く? チケット持ってるし」
 なんとなく冗談で言ったのだが、彼女は大真面目に「いいよ」と答えた。
「え、本当に?」
 僕が聞き返すと、夕佳里さんは頷いた。
「いつも真面目に出てる授業だから、今日一日ぐらいさぼっても平気だよ」
 まさかいいというとは思わなかったな。
「え、ほんとに、行く?」 
 念のために繰り返すと、彼女は頷いた。
「いいよ」
 彼女はどこか面白そうに笑っていた。僕の反応を見て楽しんでいるかのようだ。
「……それじゃ、行こうか」
「お昼、どうする?」
 そうだよな、食べずに過ごせないよな。僕もお腹すいてるし。
「マクドでなんか買っていこう。映画館の中で食べようか」
「そうだね」
 そこまで決まれば、後は梅田に向かうだけだ。
 僕らは次の最寄駅行きのバスに乗り込むため、急いでバス停に向かった。
 

 平日の昼と言っても、梅田はやはり人が多かった。
 僕と夕佳里さんは、本屋の雑誌で映画の時間を調べた。
「ああ、ちょうどいい時間がある。あと30分ぐらい」
「ほんとに? いいタイミングだったね。混まないといいけど」
「平日だから、そんな混まないさ」
 映画館に行く前に、お昼を買いにマクドに立ち寄った。
 僕らが並んだレジの店員は、他の子と制服の違う、ランクの高そうな女の子だった。
「いらっしゃいませー」
 笑顔はいいのだが、鼻にかかったわざとらしい声がちょっと苦手な感じだ。まぁ無愛想な店員より何倍もマシだが。
「お会計は別々でよろしいですか?」
 店員の言葉に「はい」と応え、僕らはそれぞれセットを頼んだ。
 ファーストフードに来ると、やっぱ店員の動きを見てしまうな。ここの店はいつも混んでいるからか、店員はスピードを意識した動きをしている。それと比べてうちの店のなんと暇な事か。まぁ忙し過ぎるのも嫌だが……暇すぎるのも問題だ。
「お待たせいたしましたー」
 会計は別だったが、袋は一緒に入れられていた。
「俺持つよ」
 僕が店員から袋を受け取ると、夕佳里さんは「ありがとう」と言ってにっこりした。
 映画館までは地下を歩いた。傘をさす必要がないのは楽だった。
 途中ビルの中を通るのだが、僕の行きつけのゲーセンなんかもあったりして、夕佳里さんは店頭のUFOキャッチャーを覗いて歩いていた。
「こういうのって、欲しいものがあるとムキになっちゃうよね」
「あぁ、あるね、そういう時」
 まぁ絶対取れないと思ったらやらないんだけど。
「あとでゲームしにこようか」
「うんうん」
 東映の映画館の入り口で、僕は財布からチケットを取り出すためにマクドの袋を夕佳里さんに持ってもらった。チケットを二枚受付の女性に渡し、半券を受け取る。
 半券を鞄にしまい、僕は夕佳里さんに向き直った。
「あ、ありがとう。持とうか」
 僕が手を出すと、夕佳里さんは首を振った。
「いいよ。どうせもう少しだけだし」
 もう少しで次の回だというこの時間のわりに、待っている人は10人ほどしかいなかった。やはり平日というのは空いていていい。まぁ映画の為に頻繁に授業をさぼることはできないが。
 しばらく待っていると、前の回の上映が終わったらしく、扉が開いて客が出てきた。やはりそれほどの人数ではない。
 僕と夕佳里さんは劇場内に入った。
広いうえに人が少ないので、逆にどこに座ろうか迷ってしまう。
「どこらへんがいい?」
「私はどこでもいいよ」
 あまり前だと逆に見難いしなぁ。
 ま、どこでもいいか。
 少し悩んでから、真ん中より少し右に寄ったあたりに座ることにした。
夕佳里さんは僕の左側に座った。
「じゃ、始まる前に食べようか」
 夕佳里さんはマクドの袋をあけ、僕の分のセットを出してくれた。
「あ、ありがとう」
 僕は受け取り、ドリンクにストローをさした。
 ……なんか、今変な感じがしたのは、気のせいだろうか。
「…………だね」 
 夕佳里さんが紙袋をがさがささせて何か言ったので、僕は彼女の方を向いた。
「え、何か言った?」
 僕が声をかけると、彼女はこちらを向いて言った。
「ん? あぁ、店員さんペーパーナフキン付けてくれてないんだね、って言っただけ」
「あ……あぁ」
 今夕佳里さんの方を向いて、わかった。
 さっき感じた違和感の正体が。
 僕と夕佳里さんは一席あけて座っていた……間の席にあるのは、さっき買ったマクドの袋。
 何かおかしいと思ったのは、妙に彼女と距離があいていたからだ。
 彼女は気づいてないんだろうか、この妙な空間に。
 というか……相手が彼氏でなくとも、一緒にきた人とは隣あって座るよな、普通。これはもしかしてさりげに距離をつくられてるとか? 先に座ったのは僕だから、後から座った彼女が意図的に袋を間に置いたと考えられないこともない。
 どうせ袋はもういらないから、「捨ててくるよ」とか言って捨てて、席つめて座ってやろうかとも考えたが、別に僕はどうしても彼女の隣に座りたいと思っているわけでもないからして……このままそ知らぬふりして座っている方がいいのかな。
 僕はそんなことを考えながら、ポテトを口に運んだ……塩かけ過ぎだ。
「…………ね」
 夕佳里さんがまたも何か言った。
 劇場内が人の出入りで騒がしくなってきたせいもあって、彼女の声はほとんど聞こえなかった。
「え?」
 僕は間の席に乗り出すようにして聞き返した。
「うん……このポテトちょっと辛いね」 
彼女はまったく自然に言葉を返してきた。どうして会話が聞こえにくいのか、気づいているのかいないのか。
「……そうだね」
 ふと、この前穂積さんが僕に言ったことを思い出した。『女の子と出かける機会が多いのか』という質問だったが、あれは僕が夕佳里さんを映画に誘ったからそんなふうに聞いてきたのではなかろうか。もしかして、僕も前倉みたいに軽く女の子を誘う男だと思われてたのかな。
 思えば穂積さんはどこか僕に対して線を引いているような気がする。それは僕が嫌いとかそんな感じではなくて、よく知らない相手は素直に信用できない、と言った警戒心に似た感情とでも言えばいいのか。でも僕が誘ったのは夕佳里さんだし、当の夕佳里さんは僕を警戒しているようには見えないが……いや、そう見えてこの距離が全てを物語っているのだろうか。
 ……ま、あまり考えても仕方ない。今日は素直に映画を楽しむか。
 

 約二時間が終わり、スタッフロールが終わると、劇場内は明るくなった。
 僕は軽くのびをして、夕佳里さんの方を向き……一瞬驚いた。彼女は目を赤くして、目元をハンカチでぬぐっていた。
「……そんなに感動した?」
 僕が尋ねると、彼女はちょっと笑った。
「私、涙もろいんだ……別にそんなに感動するものじゃなくても、すぐ泣いてしまうから……」
 夕佳里さんは指で目の際を拭った。
 とりあえず劇場から出ると、夕佳里さんは顔を洗いに行った。
僕は電源を消していた携帯の電源をつけた。
 あれ……留守電が入ってる。誰だろう。
『もしもし、俺やけど。お前学校に来てんの?』
 高崎だった。うー、今日一緒の授業とってたんだっけ。
『学校におるなら電話くれー、じゃな』
 学校にいないから、電話しなくていいんかな。
 僕が考えていると、夕佳里さんが戻ってきた。もう目は赤くない。泣いていたのがウソみたいなすっきりした顔をしていた。
「おまたせ」
「あ、うん」
 ま……電話しなくていいか。
「さて、ゲーセンでも行く?」
 そう誘うと、夕佳里さんは頷いた。
「また対戦する?」
「それでもいいけど、乱入しよう」
 映画館の外に出ると、雨は上がっていた。少しむっとしているが、暑いというほどではなかった。
 僕は彼女を連れて、地下にあるゲームセンターに連れて行った。
 そこはわりと広いゲーセンで、いつも客は多い。ゲームの種類も豊富で、かなり昔のゲームもあり、それを目当てに来る常連も多いようだ。パックマンとか今更ゲーセンでプレイする人も珍しいが。
「あ、あそこ。『KOF』やってる」
「やってるね」
 対戦台で、同い年ぐらいの男がプレイしていた。画面を見ると、どうやら三連勝した後らしい。相手として不足はない……かな? ま、どんな相手でも勝つけど。
「君、入る?」
「佳月君お先にどうぞ」
 僕らは互いに譲り合っていたが、
「じゃ、先の二人は君がやって、最後は俺がやるから」
「わかった」
 乱入する側にまわり、夕佳里さんが椅子に座った。僕はその傍らに立つ。
「誰使う?」
「誰でもいいよ。俺、どのキャラでも使えるし」
「わかった」
 夕佳里さんはこの前彼女が使用していたのと同じキャラを選択した。
 画面を見つめる彼女の眼が、真剣なものになる。
 そういや彼女と対戦はしたことあったが、彼女がプレイするのをこうして後ろから見るのは初めてだったな。 
 ボタンを叩く指に力が入りすぎているような気がしないでもないけど、まぁそれは勝敗には関係ないか。彼女の力でコントロールパネルが壊れることもないだろうし。そういや僕は一度、方向レバーについている玉のような部品をすっ飛ばしたことがあったな。
やはり夕佳里さんは強かった。僕の出番もなく、対戦相手を倒してしまう。
「楽勝?」
「楽勝」
 彼女は振り向いて笑った。右手を出し、親指をたてて見せる。
「交代しようか?」
 そう彼女は言ったとき、向こう側で違う人が乱入しようとしているのが見えた。
「あ、次くるよ」
 僕が言うと、夕佳里さんは嬉しそうな顔をした。ゲーマーだなぁ。
「ほんと? 強いかなぁ」
 やっぱこういうのは、相手が強くなければ面白くない。僕も相手が強いことに期待しよう。
 最初夕佳里さんが勝っていたが、相性が悪かったのか結果的に負けて僕の出番になった。
「頑張ってね」
「おう」
 僕は交代して椅子に座った。
 やっぱ知らない人との対戦は面白い。こう言うと紫は怒るが、もうほとんどクセが読めてるから相手にならないし。もう少し修行して強くなってくれないと。
 こうしていると、高1の頃を思い出す。あの頃僕はゲームセンターで知り合った同い年の少年と、今みたいに交代しながら対戦して遊んでいた。双子の兄を探していると言った彼は、今ごろどうしているんだろう。兄と無事に再会できたんだろうか……。
「あ、すごいっ」
 僕が大技を決めると、夕佳里さんが後ろではしゃいだ。
「今のタイミングで技入れるなんて……すごいよ」
 いやいや。
 俺、自称梅田一強い男だし。
 向こう側にいた人は、また連続して乱入してきたらしい。さっきと同じキャラを選択している。よほど悔しいのか、そのキャラしか使えないのかどちらかだな。
 僕はまた夕佳里さんと交代した。今度は夕佳里さんが全勝する。
 そのうち相手が乱入してこなくなったので、とりあえずクリアしてゲームを終わらせた。
「面白かったー」
「うん、やっぱ対戦は燃えるね」
 もっと強い相手ならなおよかったんだが。
「今までの連勝記録、どのくらい?」
 きかれて、僕は少し考えた。
「俺? 確か……30連勝はした」
「30連勝? それはすごい! KOFで?」
「いや、違うゲームなんだけど」
 その当時一番盛り上がってたゲーム「バンパイアハンター」で対戦してたからなぁ。いつ対戦相手が途切れるのかわからないぐらい連戦していた。その時はもう疲れて途中で放り出して帰り、しばらくしてそのゲームセンターに設置されているノートを見たら、僕への挑戦を申し込む人が何人かいて、「○日の○時に対戦希望」とか書いてあった。僕は行かなかったけど、相手は来たんだろうか。今はもうなくなってしまったゲームセンターでのことだ。
それから僕らは、目的もなく梅田の地下を歩いた。
 ビルから北新地駅まではあまり人通りがなかったが、地下鉄西梅田駅のあたりまで来ると、さすがに人通りは増えた。
 このまままっすぐ行けばJR大阪駅だが……少し回り道するか。
 分かれ道で僕の顔を仰いだ夕佳里さんを、回り道の方へ誘う。
「……そういや、今、何か創作書いてる?」
「うん、まぁね」
 そういえば、夕佳里さんがどんな小説を書くのかきいたことがなかった気がする。ファンタジーとかだろうか。
「どんな話?」
 僕の質問に、彼女は少し間をおいて「恋愛もの」と答えた。
 夕佳里さんの書くどんな恋愛ものだろう。案外どろどろしたやつとか書いてるのかな。それとも少女小説のような恋愛か。
 うーむ、興味あるな。
「君は、どんな恋愛が理想なわけ」
「え、理想?」
 彼女が戸惑ったような顔で僕を見上げたので、僕は聞き方を変えた。
「どんな恋愛がしたいとか、さ」
「はぁ……そうだねぇ……」
 僕らはしばらく無言で歩いた。
 この地下道は、市営地下鉄からハービス大阪を経て、ヒートビートまで続いている。ハービス大阪は地下は飲食街で、地上階はグッチやプラダなどのテナント、上はホテルリッツカールトン大阪になっている。
面白いことに、この地下道はどこかから音楽がきこえてくる。それはちゃんとしたメロディーではなく、鉄琴かなにかでワンフレーズだけ演奏したような感じだ。それは一定の間隔を置いてどこからともなく聞こえてくる。その音楽が妙に心地いいので、沈黙も決して不快ではなかった。
「そうだね……」
 質問してから大体20メーターぐらい歩いてから、夕佳里さんは口を開いた。
「例えて言うなら、空気中における酸素みたいな感覚の恋愛かな」
 …………は?
 僕は彼女の言った言葉を頭の中で繰り返した。
 空気中における酸素……って、確か空気中に酸素は5分の1の割合で含まれていたはずだが……。
「それはどういう解釈をしたらいいのかな」
 僕が言うと、彼女は言葉を選ぶように眼を細めた。
「えっとね……酸素って、人間にとって必要不可欠なものじゃない?」
「そうだね」
 彼女の言葉に、僕は相槌をうった。
「でもね、酸素だけ摂取していても、逆に体に悪いかも知れないじゃない」
 ……はぁ。
「同じように、彼氏って存在も自分にとって大事な人だろうけど、私の中の全てを占めているのは辛いと思う。逆に彼の中の全てを私が占めるっていくのもなんか重いし」
 …………はぁ。
「で、その占める割合が5分の1ぐらいなわけ?」
「ん、それは例えであって……別に丁度5分の1でなくていいんだけど」
 夕佳里さんは笑った。笑いながら、僕を見ていった。
「言ってて、自分でもよくわかんなくなってきちゃった。ごめん」 
 ……なんだそりゃ。
「要は、相手に頼りすぎずに、自立した関係でいたいな、とそう思っているだけなんだけど」
 なんとなく、言いたいことはわかった気がする、けど……。
「で、佳月君の理想は?」
「……え」
「人にきいたんだから、自分だって答えてよ」
「…………」
 しばらく黙って考えていたが、20メートル歩いても考えはまとまらなかった。
 なんていうか……何も知らない時だったら「自分の理想は」と気軽に言えただろうが……一年愛子と付き合いながら実はそれが恋じゃなかったという過去がある身としては、理想を語れる立場なのかと……なんなんだろう、僕の恋愛って。
 地下道の終わりのエスカレーターから地上に上がると、すでに日は暮れかけていた。
「梅田にこんなとこあったんだ」
 夕佳里さんがつぶやいた。
 ヒートビートはクリスタルビルの地下にあるのだが、そのビルの隣は公園のようになっていて、中央に噴水があり、その周りを囲むようにベンチが並んでいる。スケートボードを持った少年たちが遊んでいたり、近くのパン屋の袋を持った女性二人がベンチに座っていた。ここらへんは道路の高架下なので、あまり雨には濡れていない。
「噴水、動いてないね」
 夕佳里さんは噴水の手すりから下を覗き込んだ。僕も中を見たが、水は静かに揺れているだけだった。僕も何度もここにきたことがあるが、この噴水が動いているのを見たことは一度か二度ぐらいしかない。
「もう少し暗くなったら、ライトがつくと思うよ」
 僕がそう言うと、夕佳里さんは嬉しそうな顔をした。
「あ、そうなんだ。早くつかないかなぁ」
 女の子だなぁ。それとも見たことないからそう思うのか。
「ちょっと座る?」  
 僕が言うと、夕佳里さんは頷いた。
 噴水の近くのベンチに並んで座ったが……俺、やはり彼女に距離置かれてるみたいだな。僕との間に鞄置いてるし。これだけ距離置かれてると   この言い方は正しいのかわからないが   なんかいじめたくなってくる。今度そういう機会があれば、強引に隣に座ってやろうかな……って、そんな事考えてどうすんだ、俺は。
 僕はさっきの理想の恋愛説は何とかごまかして、話は創作のことになった。
「夕佳里さんの小説って、どんな感じ?」
「ん……のほほん、て感じ。創作の中でも、あまり愛憎入り乱れのような話は書きたくないから……ほのぼのがいいなぁ」
 へぇ……。
「佳月くんは?」
「あぁ、どちらかというと、穏やかな方が好きだけど」
「圭ちゃんの小説はすごいよ。読んでて苦しくなってくるもの」
「そんなすごいの書いてるのか」
 ……でもなんか、想像つくなぁ。
「一番最初に書いた話って、どんな感じだった?」
 僕が聞くと、彼女は急に大笑いした。
「……なに?」
「私、一番最初の小説って、推理ものだったんだよ」
「へぇ、なんか意外だが……なにがおかしいの?」
「いや……あまりに馬鹿らしい話だったから……はは、思い出しちゃって」
 ……一体どんな話だ。
「私ね、小学生の頃愛読書が江戸川乱歩だったの」
「そりゃすごいね」
「もちろん、子供用に易しく編集してあるやつね」
 あぁ、なるほど。
「そのおかげで、普通の小学生が知らない言葉とか妙に知ってて、一回失敗したことあるんだよねー」
「どんな失敗?」
「小学生の時、国語の授業で「体」って漢字を習ったときに、その「体」をという漢字を使った単語を言いなさいって先生が言ったのね」
 夕佳里さんは噴水の方を見つめたまま続けた。
「私自信もって手をあげて……言った単語が何だったと思う?」
 聞かれて、僕は考えた。
 なんだろう。
「なに?」
「それが……『遺体』だったの」
 ………………。
「あとで懇談のとき、先生がお母さんに「ショックをうけました」って言ってたらしくって……私もなんでそんなこと言ったのかよく覚えていないんだよね。あー、あれは失敗だったなぁ」
 そりゃ先生は驚くだろうなぁ。「体」なんて漢字習うのは小学1年か2年だろうし。そんな子に「遺体」なんて言われたら……。
「でね、江戸川乱歩と言えば少年探偵団と明智探偵、知ってる?」
 明智探偵って、かなり昔にテレビドラマでしているのを見た気がする。
「少年探偵団ていうのは?」
 俺、江戸川乱歩読んでないってバレバレの発言だな。小学生の頃、何読んでいたんだろう。思い出せん。
「あ、知らない? 明智探偵の弟子で、少年が数人集まった探偵団なんだけど、そのリーダーが小林少年っていって、『リンゴのように赤いつやつやした頬の少年』らしいんだけど」
 それってかなり幼くないか? つやつやした頬の少年て……少なくとも15歳ぐらいだろう。どう考えても、
高校生ぐらいの男の肌がつやつやしているのは想像つかない。
「私少年探偵団にすごく憧れてて……真似して七つ道具とか持ち歩いてたんだ」
「七つ道具?」
 聞くと探偵らしい響きだが……。
「カッターとかマッチとか、そういう道具。小林少年は万能鍵とか縄梯子持ってたんだけど、そこまで真似はできなかった」
 …………。
「そんなもの持ち歩いて、どうするわけ?」
 少し聞くのが怖かったが、僕は聞かずにはいられなかった。
「え、もしかしたら、役に立つときがくるかもしれないじゃない」
 ……縄梯子を役立てる小学生って考えたくないなぁ。
「あ、佳月君て、呼吸を二、三分止めていられる?」
 突然の話の変わりように、僕は脱力しかけた。
「は? さぁ……三分はムリだろうけど、それなりには」
 昔水泳も習ってたから、肺活量には自信あるけど……今はどうだか。トランペットをやってる徳田に負けるかも。
「小林少年て探偵の助手しているぐらいだから、拉致されたりすることも何回かあるんだけど、拉致しようとする敵って大抵クロロホルムを染み込ませた布で口と鼻を塞ぐって手段を使うのね。でも小林少年は二、三分呼吸を止められるから、眠ったフリして敵地に潜入して、活躍したりするの」
 ……小林少年、恐るべし。ていうか、そんな少年実際いたら怖い。
「で、君も真似して呼吸を二、三分止める練習したりとか」
「してないよ、そんなの」
 僕らは声をあげて笑った。
 ……なんというか、ほんとに変わった人だ。最初と全然印象違う。
「あ」
 噴水のライトがついた。底から赤、青、緑の光がさしている。
「きれいきれい」
 夕佳里さんは噴水の手すりに駆け寄って中を覗きこんだ。下からさすライトに、彼女の横顔も照らされている。
 僕は噴水に興味はなかったので、座ってその様子を眺めていた。
「噴水が動いていれば、もっときれいだったのに」
 夕佳里さんは戻ってきてそう言った。
「電気代を節約してるんじゃないの? ヒートビートでライブをする日だけ動いてるとか」
「そうかなぁ」
 彼女はもう一度噴水の方を振り返った。動かないか期待しているようだったが、残念ながら動き出す気配はまったくなかった。
「……そろそろ、行こうか」
「そうだね」
 帰りは地上から帰ることにした。
ハービス大阪の敷地を歩いていると、道の脇にいくつかのオブジェが並んでいた。夕佳里さんがそれに近づいて、地面のプレートにかかれた題名を読み上げた。
「これは……『自問自答』だって」
 金属で作られたその物体は、言われてみれば確かに人間が手を頭にあてて何か考えているように見えないでもなかった。
「こういうでも、芸術なのかな」
 僕が言うと、夕佳里さんは僕の方に振り向いた。
「そうじゃないの? 前衛美術ってやつかな」
 その次に見たのは、両手で頭の上に輪を作っている人間の上半身らしき形だった。『飛べないわ』というその題名が、なにやら妙だった。どこか可愛らしさを感じる作品だ。
「こういうのの題名って、どんな感じでつけてるのかな。直感的に浮かんだ題をつけてるのかな?」
 僕には造形関係の友人はいないのでわからん……もしかしたら徳田の知り合いにはいるかも知れないが。
「題名って、大事だよね」
「うん、つけるの悩むことある」
 駅に向かって歩きながら「題名」の話になった。
「佳月君はルネ・マグリットって画家を知ってる?」
「名前は聞いたことあるけど……どんな絵を描いてたっけ?」
「見たら絶対知ってると思うんだけど……その人の絵で、うねうねと一面にパイプを描いたものがあるんだけど、その題名が『これはパイプではない』っていう絵なの」
「あ、なんか知ってる気が、する」
 きいたことがある。美術の教科書に載ってたんじゃないか?
「ルネ・マグリットって、自分で題名を決めないで、何人かの友人にその絵を見ていくつか題名になりそうなものを言ってもらって、その中から選んで題名をつけていたんだって」
「自分で考えないで、人に考えてもらってたわけか」
 どんな題名がつくことになるのか、予測不可能だ。
「……もし自分の作品のタイトルを人に決めてもらうとして、自分の思惑から遠い題名をつけられたら、私は絶対拒否すると思う」
 夕佳里さんはきっぱりと言った。
 僕も題名は自分で考えたいほうだな。まぁ知り合いのうちでも、題名を人に考えさせる人の話はきいたことがないが。
「ちなみに、作品の題名は先に考える? 後でつける?」
 僕がきくと、夕佳里さんは「決まってない」と答えた。
「その時々によるね。作品ができてから題名を考えるときもあれば『こういう題名の作品がかきたい』と思って書くときもあるから」
「なるほど」
 題名を先に決める……そういうテもありか。僕も何か、イメージが膨らみそうな言葉を見つけてみようかな。そしたらそこから創作の道が開けるかもしれない。
「今書いてる小説の題名はもう決まってるわけ?」
「んー……」
 夕佳里さんは僕より一歩ほど先を歩いていたが、ふと振り返った。
「まだ未定だけど……つけてみたいタイトルは『夢漂流』とかね」
 『夢漂流』……なんか夢の世界が展開するような話だろうか。
「それはどこから来たわけ?」
「何処からって、なに、それ」
 夕佳里さんは僕の言葉に、唇を歪めて拗ねたような顔を見せた。
「いや、まったくのオリジナルで考えたのかと」
「ああ、そういうこと」
 彼女は西日に目を細めて、言葉を継いだ。
「好きなイラストレーターの画集に『東京夢漂流』っていうのがあってね、それの言わばパクリなんだけど……言葉の響きがいいな、と思って」
 ふーむ……。
「でももう少しヒネリが欲しい気がするけど」
 僕が言うと、
「あ、やっぱり? まったくそのままじゃダメだよねぇ」
 夕佳里さんはうんうんと頷いた。
「そうそう、あと、書かないけど書きたいネタがあるんだ」
 彼女がそういうので、僕は「どんなネタ?」と尋ねた。
 夕佳里さんはにっこりして言った。
「その名もずばり『魔界都市大阪』!!」
 ……そりゃまんまパクリだよ。
「地元ネタ満載の作品になると思うんだけどね」
「……確かに、タイトルのとおりに行けばね」
「舞台は魔界と化した大阪。もちろんメインは梅田。主人公はもちろん美形。彼の職業は……まだ考えてないや。元が煎餅屋だから、たいやき屋とか……あ、たこ焼き屋もいいな」
「なぜにたこ焼き屋……?」
 僕が聞くと、彼女は「たこ焼き好きだから」と答えた。 
「企画倒れ間違いなしのアイディアなんだけど」
 ……間違いなしに倒れてどうする。
「まぁ、そこのとこは冗談冗談」
 彼女は笑って手を振った。
「ちゃんとオリジナルのネタもあるんだけど……それは形になるかわからない。もう少し暖めていたい気もするから」
 そんな話をしているうちに、JRの大阪駅に着いた。
 僕は定期を持っていたが、夕佳里さんは切符を買わなければならなかった。
「どうして佳月君、定期あるの?」
「あ、これ? 通勤定期」
 僕が定期入れを見せると、彼女は怪訝そうな顔をした。
「なんで通勤定期なの?」
 話せば長くなるということでもないが……僕の通学経路には梅田は入っていない。にもかかわらず、バイトは梅田でしている。それというのも天王寺より梅田の方が馴染みがあるし、ゲーセンは多いし(笑)、買い物をするのも都合がいいからだ。学校帰りに寄り道する時も、天王寺でなく梅田まで出ることも多い。だからわざわざ通勤定期を買っているという……父親に言わせれば無駄金使っていると言うが、僕は全然気にしていない。大体休みの日にバイトの為に天王寺まで出るよりは梅田に出た方がよっぽど近いのだ。
「佳月君て、よほど梅田が好きなんだね」
夕佳里さんはそう評した。
 梅田が好きというか……なんだろうな、気軽に来れる場所というか。
「夕佳里さんは天王寺の方が好き?」
「私……私は、あまり人の多いところは好きじゃない」
 彼女は右手で髪をかきあげ、耳にかけた。
「あぁ、人ごみが苦手なんだね」
「あ、うん、そう……」
 彼女はホームに入り込んできた電車に眼をやった。
「休みの日もあまり家から出ないなぁ……梅田に来たのも久しぶりかな」
「そっか……」
 電車に乗り込むと、僕らは開いているドアの向かい側のドアの方に立ち、窓から見える景色を眺めた。
 一駅分の時間黙っていたが、僕は口を開いて言った。
「もし、出かけるのが嫌いじゃないなら……また誘ってもいいのかな」
 夕佳里さんは伏せていた目をあげ、僕を見た。
 戸惑いと驚きと、また別の複雑さの混じったような顔をしていた。
 彼女も次の駅に着くぐらいまで黙っていたが、やがて「機会があればね」とにこりとして答えた。
 その返事はイエスともノーともとれる曖昧さを含んでいて、今日彼女が無意識に(あるいは意図的に?)とった距離のことを僕に思い出させた。
ので、僕は少し意地悪な気持ちになって言った。
「じゃ、俺また機会つくるから。絶対断らないでね」
「え」
 夕佳里さんがぎょっとしたように身をひいたので、僕は思わず笑いたくなった。
 だめだな、なんかいじめたくなる。
 電車は僕がいつも利用している駅につこうとしていた。
「あ、じゃあ俺、降りるから」
 僕が言うと、夕佳里さんは頷いた。
「今日はありがとう。映画、面白かったね」
「あ、うん……そうだね」
 そういや、映画についてはあまり話さなかったな。ま、また今度でもいいや。
 僕は開く方のドアへ向き直った。
「じゃ」
「うん」
 夕佳里さんは軽く手をあげた。
「じゃぁ、また学校で」
「あぁ」
 僕はホームへ降りた。一度振り返ったが、夕佳里さんはもう顔を向けて窓の外に向けて、僕の視線に気づかないようだった。
僕は鞄からMDのヘッドホンを取り出し、耳につけた。聞きなれたロックが聞こえ出すと、今日は学校に行って授業を受けて、今最寄駅に帰ってきたばかりのように日常に戻ったような気がした。
 こういう日も悪くないもんだ。学校サボって映画行くぐらいのことは。
 しかしまた彼女と映画見る機会があるのなら    次は隣り合って座れるのだろうか。また一つ席空けられてたりして。
 ……さて、どうなることやら。

離れずに暖めて
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