Time Has Come
 
 
 
離れずに暖めて  7
 ……僕を呼ぶ声がきこえる。
 聞きなれた、ちょっと高めの声……誰だ……誰だっけ……。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
 ドアをどんどん叩く音がして、僕はびくっとしてベッドの上で体を起こした。
 ……って、なんだ、紫か。人の安眠の邪魔しやがって。久しぶりに変な夢も見ずに眠っていたのに。
「うるさいぞ、静かにしろ」
 そう叫んでまた寝転がると、ドアが開いて部屋に紫が入ってきた。
 僕は再び起きあがり、紫の方を向いた。
「勝手に部屋に入るなって、いつも言ってるだろうが」
「お兄ちゃん、遅刻しそうなの。車だして」 
 言われて、僕は時計を見た。七時三十五分、紫の高校までは電車で五十分、始業時間は八時半。うーむ、ギリギリってとこか。
「一度ぐらい遅刻しても大丈夫だって」
「私皆勤賞目指してるんだから、送ってよー」
 ……本気かよ。
 僕は仕方なくベッドから出た。
 うわー、なんか気分悪……くらくらする。
 五分で顔を洗い着替えを済ませ髪を整え、缶コーヒーだけ持って行く。コンタクトははめる手間が面倒なので眼鏡にした。
「ったく、寝坊なんかするなよ」
「だって、ペルソナのレベル上げにはまっちゃって……」
 紫はぼそぼそと言い訳をした。
 父親がいれば僕が車を出す事もなかったが、あいにく夜勤で留守だった。久しぶりの運転だが、どうにかなるかな。
「どこまで送ればいいんだ」
「え、学校」
 紫はにっこりした。
「……お前なあ、兄をアッシーにする気か」
「お兄ちゃん、月曜日は大学ないんでしょ? 帰ったら寝れるし、いいじゃんか」
 僕の時間割をさりげなく覚えていたらしい。
 昨日は閉店作業で遅くなったあげくバイト仲間とラーメン食べに行ったので、寝たのが三時……ラーメンが胃にもたれているような気がするし、寝不足のせいで眼は疲れている。ったく、最悪だ。
 紫の学校までは車で三十分というところだ。以前にも車で行ったことがあるので、道は覚えていた。これで道がわからなかったら、さすがにやばい。
 僕は赤信号で止まっている間にコーヒーを口にした。たまにはブラックコーヒーも買っておこうかな。カフェオレ程度では頭がすっきりしない。
 紫は手鏡を見ながら、前髪を整えたり襟もとを正したりしている。夏服になったばかりなので、まだ少し寒そうな半袖のブラウスだ。ポーチからリップを取り出して唇に塗っている。無色化と思えば、色付きだった。やれやれ、いつのまにか色気づいたりして。
 ふと、相本さんからきいた話を思い出した。
「そういや、お前彼氏がいるらしいな」
「なんで知ってんのぉ?」
 紫は思わず耳をふさぎたくなるような裏返った声で叫んだ。
「なんでって、相本さんにきいた」
「あー、亜希子の奴! 絶対兄貴には言わないって誓わせたのにぃ」
 ところが相本さんは、その誓いをすっかり忘れていたらしい。
 しかし誤魔化しもしないで肯定とも取れる言葉を口にするとは、嘘のつけない妹だ。
「お父さんには、言わないでね」
「別に言うつもりはないよ」
「よかったー」
 僕の言葉に、紫は安心したらしい。
「で、どんな奴なんだ」
 僕の質問に、紫はふふ、と笑った。
「えー、そんなん聞かないでよ」
 と言ったわりには、
「バイト先の同い年の人」
と答える。
「なんだ、同い年か。年上かと思った」 
「バイト先で高校生は、私と彼の二人だけなんだ。他は年上ばかりなんだけど。でも兄貴がそんなこときくとは思わなかったなぁ」
「そんなことって」
「彼がどんな人だとかさ。興味ないと思ってた」
「まあゼロってわけじゃない」
 思ったより道がすいているので、あと十分ほどで着きそうだった。
「じゃあ、少しは妹のこと気にかけてるんだ」
 紫は茶化すように言った。僕はハンドルをまわしながら答える。
「そりゃ当たり前だろ。だからこうして送ってる」 
「そう言われれば、そーだね」
 到着は八時十分。いい時間だった。僕は学校から少し離れた道で車を止め紫を下ろした。
「ほら、さっさと行けよ」
「うん、サンキュー」
 紫は駆け出して行った。僕は少しだけ見送ると、車を出した。
 やれやれ、すっかり目が覚めてしまった。だがドライブを楽しむつもりもなかったので、真っ直ぐ家に帰ることにした。
 マンションの駐車場で車庫入れをする段になって、僕は基本的なことが頭から抜け落ちているのに気づいた。
 えーと、ハンドルをどっちに回したらいいんだったかな。
 何度かバックしながら試したが、隣の車に当たりそうで怖い。
 車を出したはいいが、入れられないとは困ったもんだ。
 えーと、ここでハンドルをきって……あれ、思ったようにいかない……。
 僕は十五分ほど試したが、どうにもできずに家に電話した。
「あ、母さん、俺。今駐車場で車庫入れしてるんだけど、入らないから入れてくれ」
 母親も免許持ってて助かった……。
 車を無事に停車させた後、母親の小言を聞き流し、僕は家に戻った。
 妙に目が覚めたので、また少ししてから寝なおすことにしようと思い、インターネットをすることにした。
 この間夕佳里さんからきいた「あらいもとこ」を調べようと思ったのだ。本屋で探して見たが、どこの出版社なのかわからなかったので見つけることができなかった。ネットで探せば、わかるに違いない。
 僕はパソコンを立ち上げた。ネットに接続すると、うちのパソコンは「Yahoo」がホームになってそこから検索していくようになっている。どうでもいいが、「Yahoo」を「ヤッホー」と読む人を、僕は二人ほど知っている。
 さてと、検索。「あらいもとこ」と入力した。下手に漢字に変換すると違うものがでてきそうだ。ひらがなだったが、「Yahoo」の登録サイトが二件出てきた。助かった。漢字では「新井素子」か。
 適当に片方を選択する。公式のHPではなかったが、ともかく著作リストがあったので、そこで「ひとめあなたに……」は角川文庫だとわかった。探せば見つかるだろ、たぶん。
 著作リストには、それなりの数のタイトルが並んでいた。結構作品あるんだな。まあ栗本薫には叶うまいが。コバルト文庫……うわ、これは読まないな。どっちかと言うと、コバルトは女の子向けというイメージが強い。
 まあ今度、本屋でチェックしてみるか。大学の本屋にはないだろうが……。
 
 

 六月ともなると、少々蒸し暑くなってくる。僕はこのじめっとしたのが嫌いだ。梅雨ともなるとさらに悪い。雨の中原付に乗って、ズボンが濡れるのが不愉快なのだ。僕は雨の日だけ最寄駅までバスに乗っている。
 今日は曇りとはいえ雨ではないので、僕は原付で最寄駅まで行き、環状線に乗った。
 午前中の授業は成り行き状自主休講となり、僕は午後からの授業に出るつもりだった。
 近鉄電車に乗るまで時間があったので、天王寺の本屋によってみた。新井素子の本をちらっと読む為である。
 昨日ネットで調べたおかげで、本は簡単に見つかった。手に取って表紙をめくったところに、粗筋がかいてあった。
 あと一週間で地球が滅亡するって時に、江古田から鎌倉に恋人に会いに行く女の子の話……関東の地理に疎いので、どのぐらいの距離か全然わからん。
 しかも……なんでだ、歩いて行くのか?
 ぱらぱらとページをめくっていって、中身をみて納得した。……そうだよな、地球が滅亡するって時に、電車が走ってるわけないか。すでに日常を営むことは不可能な精神状態におかれるんだから。
 そういや、今年こういう映画するよな。洋画の、名前忘れたが、隕石が地球に衝突するとか言って、それをどうこうするとかいうやつ。見にいきたいと思っていたやつだったが……なんだっけ……まあ始まったらわかるか。
 この前夕佳里さんが言っていたムンクについての話を探したが、それは見つからなかった。そこを読んでみたかったんだが……。
 僕は本を棚に返そうとして、手を止めた。
 たかだか五百円だ……買ってみよう。読んだ後は紫にでもあげればいい。
 表紙をつけてもらえば、誰の本かもわからないし、退屈凌ぎにはなる。
 僕は近鉄に乗り、大学に向かった。
 まだ昼食をすませていなかったので、食堂に向かうことにした。
 今日のMDはエアロスミスだった。洋楽は何を言っているのかわからないが、ハードロックは気分が向上していい。
 ……あ。
 僕の進行方向から二人の女の子が歩いてくるのが見えた。一人は穂積さんだが、もう一人は夕佳里さんではなく、僕の知らない女の子だった。もしかしたら文芸学科の女の子ではないのかもしれない。
「穂積さん」
 僕が声をかけると、彼女はこちらに気づいた。
「おはよう」
 二人は僕の前で足を止めた。
 何か食べ物を調達に行っていたのか、二人ともビニール袋を手にしている。
「佳月君は、これから授業なん?」
「ああ。穂積さんは違うの?」
「私はこれから、SWEのボックスへ行くところ」
 ああ、徳田のとこのサークルの手伝いか。
「圭ちゃんと同じ文芸の人ですか」
 もう一人の女の子が言った。彼女はどうやら、SWEの団員らしい。緩くパーマをあてたロングヘアーで、なかなかかわいい顔立ちをしているが、どことなく姐御肌な雰囲気をもっている。勇ましいというか、凛とした感じがするのだ。
「徳田君の友達なんよ」
 穂積さんが言うと、女の子は次の瞬間、驚くべきことを口にした。
「せーちゃんって、アホですよね」
 は?

 隣で穂積さんが笑いをこらえている。
「え、せーちゃんて……」
「マユちゃんは……彼女は、徳田君のことをそう呼んでんの」
 穂積さんは説明した。
 ああ、徳田誠一で、せーちゃんか。
「アホかは知らないが、俺達の中ではなかなか頼りになる奴だよ」
「本当ですかぁ」
 彼女……マユちゃんという子は、疑わしそうな眼で僕を見た。
「何か、せーちゃんが迷惑かけたらすぐ言ってくださいね。私が飛んでいきますっ」
 ぎゅっと握ったこぶしを振って、マユちゃんはにっこりした。
 ……はあ。
「徳田君、彼女に頭があがらんのよ」
「そうなんだ」
 あの徳田がねぇ……せーちゃんか。彼女にそう呼ばれて、どんな顔をしてるんだろう。団長だっていうのに、尻にひかれてる感じだなぁ。
「これからボックスで食事なんだ」
 僕が穂積さんの手もとのビニール袋に視線をやると、穂積さんは頷いた。
「うん、徳田君は今日はまだ会ってへんけど、たぶん学校にはおると思うよ」
「穂積さん……そのパンは、一人で食べるつもり?」
 穂積さんの持っている袋の中には、どう見ても五個はパンが入っている。
「そうやけど」
「一度に?」
「そのつもりやけど」
 彼女は平然と答えた。
 ……。
「圭ちゃんは見かけによらず、大食いなんだから」
 へえ、そうなんだ。
 穂積さんはとても太っているようには見えない。小柄だがスタイルはいいのだ。トランジスターグラマーって奴か。
「じゃ、またね」
 穂積さんが言い、マユちゃんが軽く頭をさげて、二人はボックスの方へ去っていった。
 さて、僕も食事を済ませよう。
 僕は食堂に行こうとしたが、気を変えて王将に行った。
 うちの大学のユニークなところは、学内に王将と回転寿司があるところだろう。二つとも隣り合った店になっているが、回転寿司の方はあまり繁盛していない。
 僕は禁煙席に座った。左側がガラス張りになっていて、外を行く人が見える。この店は最近新しく建てられた講堂の一角にある。中にはパソコンのおいてある情報処理室や登録した学生が利用できるトレーニングジムなどもあるが、僕はどちらにも行ったことがない。たぶん卒業するまで一度も行かないだろう。
 酢豚を注文したあと、待っている間にさっそく本を取り出してみた。
 主人公の女の子は美術系の大学に通っていて、油絵を描いているらしい。ここだって芸術大学だから同じようなものか。
 江古田から鎌倉……大阪で言えば梅田からどこまでぐらいの距離になるのだろう。神戸……じゃないよな。今一つつかめん。今度地図でも見よう。
 もともと僕が読むのは海外のファンタジーとか、新聞で紹介された面白そうな本だとかそういったものであって、こういう本は読んだことがない。
 女の子の一人称で、しかも「あたし」って言うのは、最近ないのではなかろうか。
 しかし読みやすく、料理が運ばれてきた時にはすでに二十ページほどを読み終えていた。食べ終わったら、次の授業の教室に行って、のんびり本でも読むことにしよう。
 僕が外を眺めつつ食事をしていると、高崎が外を歩いていた。僕がじっと見ていると、彼も僕に気づいた。ガラスの向こうで笑いながら何か言っていたが、分厚いガラスが彼の声を通すはずもなく、何を言っているのかさっぱりわからなかった。しばらくして彼は店の中に入ってきて、僕の向かい側に座った。
「なんや、こんなとこで一人で飯食って」
「なんとなく、食べたかったんだ」
「ま、いいや。俺もここで食べるわ」
 彼は焼き飯と餃子を注文した。
「珍しいな。お前がこんな時間から学校にいるとは」
「人に借りとったノートを返す約束しとったから、こなあかんかってん」
 なるほど。
「バイト、忙しいのか」
「いや、忙しいっちゅうか……おかんの調子もあまりよくないらしくてな、今月は金のかかることが重なったから、できるだけ稼ぎたかってん」
 高崎の家族は、和歌山の方に住んでいる。前は一家で大阪に住んでいたのだが、父親の転勤で高崎だけが大阪に残ったのだ。高崎は家族と離れる際病弱な母親のことをとても気にしていた。長期休暇は家に戻る機会でもあるが、彼はバイトでできるだけ稼いで家に金を入れたいらしい。
「お、なんの本や」
 高崎は置いてあった僕の本を手にした。
「ふむふむ、なんや、小説か」
「マンガかと思ったのか」
 彼はぱらぱらとページをめくってから、僕に本を返した。
「最近面白いと思うマンガもないし、週刊誌買うのもだるいわ」
「たまには違うものも読めばいい」
 僕が食べ終わった頃、高崎の分が運ばれてきた。高崎は皿に餃子のタレをいれる。
「違うものって、例えば?」
「徳田の本でも貸してもらえば」
「んなの、絶対面白ないわ。何読んどんのか知らんけど」
 彼も徳田が何を読んでいるのか知らないらしい。
「そういや、徳田って、サークルではせーちゃんて呼ばれているそうだ」
 僕が言うと、高崎はぷっと笑い出した。
「なんや、そりゃ。せーちゃん? 似合えへんなぁ」
 僕はさっき会った穂積さんとマユちゃんという女の子の話をした。
「穂積さんて、どんな子やったっけ?」
「ゆか……っと、芳峰さんといつも一緒にいる小柄な子だよ」
 高崎は宮下さんの苗字が芳峰に変わったことは知っていても、僕が彼女を名前で呼ぶようになったことを知らない。僕はつい名前で言いかけたのを誤魔化した。
「ああ、宮下さんならぬ芳峰さんといる子か」
 高崎はしばらくもぐもぐと口を動かしていたが、やがて口を開いた。
「佳月って、最近芳峰さんとようしゃべっとるみたいやな」
「ああ、ゼミが一緒だしな」
 僕はグラスの水を飲んだ。本当は食後は熱いお茶が飲みたいところだが、ここは水しかでてこないのだ。
「……彼女って、変わってるん、かな」
「は?」
 高崎が言いづらそうに口にした。
「いや、なんか、そんな話を前にきいたからな」
 夕佳里さんが変わってる? 僕に思い当たることといえば……。
「見かけによらずゲーマーってことが?」
「そういうんじゃなくて、その……普通と違うところがある、とか」
 普通と違う……と言われると、異常ってことか? 
「誰かがそんなことを言ったのか」
「いや、そんなんじゃないって。そんな怒るなや、別に大した意味はないことやし」
「そうか」
 僕が黙ると、高崎も黙ってチャーハンを食べていた。
 高崎と話していてこんな雰囲気になるのは、ほとんどないことだ。僕としてはそんな突っかかる気はなかったが、高崎の言い方が気になって、つい口調が荒くなってしまった。
 ……僕が知っている夕佳里さんは、別に異常じゃない。ただ、少し情緒不安定なところはあるようだが、よく笑うかわいい子だ。
 ともかくこの場の雰囲気を改善しよう。
 僕は言葉を探そうとして、ぼーっと目の前の餃子の皿を眺めていた……王将の餃子って、わりとでかいよな。この店の厨房で大量生産しているのか、違う店で作ったのを持ってきているのか、どちらなんだろう。
「食うか?」
 高崎は僕の方に餃子の皿を寄せてきた。僕の視線を勘違いして受けとめたらしい。そんなつもりではなかったんだが。
「……いや、いいよ」
 僕は苦笑して言った。
「まあまあ、遠慮すんなって」
「いや、いらないって」
「俺とお前の仲だ、何を遠慮することがあんねん」
「何だよ、俺とお前の仲って」
「一緒に風呂入ったり、一つの布団で寝た仲やんか」
 ……こいつは。
 高校の修学旅行の際風呂に一緒に入っただけで、一つの布団で寝る羽目になったのも、お前の寝相が悪くて僕の布団まで転がってきたからだろうが。
 しかしあまりに高崎がすすめるので、僕は断りきれずに一つ餃子をもらうことになった。やれやれ。
「しかし、もう六月やな。なんだかんだ言って、日々が過ぎんのは早い」
「そうだな」

 高崎は水を飲んだ。半分以上入っていたグラスの中身が空になる。
「夏になったら、ちょっとバイクで旅行にでも行きたいと思ってんねん。貧乏旅行やけど、来年はあまり余裕ないやろうしな」
 来年はし就職活動に追われる年になりそうだ。卒業制作もあるし。
「旅行か……いいな。俺もどこかに行きたい」
「今年、マジに白浜行くか?」
「白浜なぁ……」
「佳月がバイク乗れたら、遠出も可能やけどなぁ」
 高崎は普通免許に加えて大型二輪の免許を持っている。
「じゃあ、俺原付でいくよ」
 僕の冗談に高崎は笑った。
「ははは、そりゃいい」
「じゃあレンタカーでも借りて、俺が運転しようか」
「お前の運転かぁ……ちょっと怖いなぁ。そんなんやったら俺が運転するわ」
 僕の運転はそんなに信用できないのか?
「そう言えば、海遊館はいつ行くんだ」
 僕は夏休み話が出たついでに、海遊館の話を切り出した。
「え、あ、ああ」
 高崎は少々驚いたように言葉をつまらせた。
「一応八月って思っとるけど、まだ先のことやんか」
「バイトの予定も早めに出さないとならないからな、一応きいておこうと思って」
「わかっとるって。佳月のとこは怖い店長おるしなぁ」
 高崎は僕のバイト先の店長を見たことがある。僕がバイトを始めて間もない頃、面白がって見にきたのだ。ちょうどカウンターの女の子が少なくて店長が接客していたのだが、店長の身長は僕より高く、横幅もあってがっしりした体型をしている。顔は悪くないもののそんなでかい男が笑顔で接客
していたので、高崎はかなりびっくりしたらしい。
「しかし、佳月もなんだかんだ言って、接客がはまってきたみたいやな」
 高崎はポットの水をグラスに注ぎ入れた。
「でもたまに、やめたいと思うときがある」
「でもやめられへんねんな」
「まあね」
「そういや、紫ちゃんも接客だったよな」
「ああ」 
 紫の方は、喫茶店で働いている。うちと同じマンションの人が経営している個人の喫茶店だが、場所が駅の近くというのもあってかなかなか繁盛していて、バイトを七人も雇っているらしい。
「紫はバイト先に彼がいるんだと」
「へーぇ、紫ちゃんかわいいもんな。もてるとは思ってたんやけど」
 高崎は僕の家に泊まりにきたこともあるので、妹の紫を知っている。
「で、お兄ちゃんとしては複雑な心境ちゃうん?」
 は?
 高崎はにやにや笑いながら言う。
「お前のトコわりと仲良いやん。妹とられて寂しいんちゃう」
「んなわけないだろ、シスコンでもあるまいに」
 僕は呆れつつ答えた。
「そんなもんかなー。俺妹いたらめっちゃかわいがるのに、いるのは生意気な弟だけやからな」
 僕も高崎の家に遊びに行ったことがあるので、彼の弟は知っている。年が離れていて確か今年高校生になったばかりだと思うが、僕は高崎にそっくりだと思った。
「……そろそろ行くか」
 僕らは席を立った。お金は注文時に払っているので、そのまま店の外に出る。高崎が手をあおぐように動かした。
「もう梅雨やなぁ。じめじめしとって嫌になるわ」
 高崎はこの時期からもうTシャツを着ている。僕はそこまで暑がりでもないので、あまり生地の厚くない長袖のシャツを着ていた。
「次の授業、出るのか」
「うーん、どっちでもええけどな」
 次の時間高崎と僕は同じ授業だが、出席をとらないので高崎はあまり出たことがない。ちなみに創作論という授業で、徳田もくるはずだ。徳田は創作系ではないが、ほとんどの単位を修得することにチャレンジしているのでこの授業を履修している。
「ま、いいか。出るわ」
「じゃあ行くか」
 二人で並んで教室までむかう。
「お、徳田だ」
 僕が辺りを見回すと、確かに徳田がこちらに歩いてくるのが見えた。どうやら僕らに気づいていないらしい。
 近くまできたとき、高崎がつくった高い声で呼びかけた。
「おーい、せーちゃん」
 徳田ははっとして顔をあげ、うんざりした表情をとった。なるほど、こういう顔をするのか。
「その名前で呼ぶな、というよりなぜ知っている」
「俺、マユちゃんて子に会ったんだ」
 僕が言うと、徳田が怪訝そうな顔をしたので、僕は「その子は穂積さんと一緒にいた」と付け加えた。
「ああ、穂積さんといたのか」
「穂積さんが言ってたよ、徳田は彼女に頭があがらないって」
 さっき話をしたとき、高崎の見込みでは「徳田はマユちゃんて子が好きなんや!」と言っていたが、さて、徳田はどう出るか。
「いや、彼女は前の団長の彼女なんだが、こう、強く言われるとどうも言い返せないというか……その、俺はだな……」
「なーんや、別に徳田の好きな子ってわけと違うんか」
 高崎が残念そうな声を出した。徳田はまだぶつぶつとつぶやいている。どうやら学科と楽団のギャップを暴露されてうろたえているようだ。
「と、とにかく、教室に行こう」
 どうやら徳田は誤魔化す方に逃げたらしい。そんなに急がなくとも、時間は十分あるというのに。
 徳田の意外な恋愛話でもきけるのかとわずかに期待したが、それも空振りに終わったらしい。あまり問い詰めると気の毒だし。
「あ、俺授業前にちょっと……」
 高崎は右手でタバコを吸う手振りをした。一服してから授業を受けたいらしい。
「あぁ、席は取っておくから」
 僕と徳田は教室の中ほどの席をとった。一つの机に三人が並んで座れるのだが間の席は荷物置きになるので、僕は徳田の後ろ側にまわって三つの席のうちの左端に座った。
「なあ、そういや聞きそびれていたんだが」
 僕は後ろから徳田に話しかけた。徳田は鞄から教科書を出す手を止めて僕を振り返った。
「なんだ」
「穂積さんついでで思い出したが、この前のピアノリサイタル、どうだったんだ」
 徳田の顔に、なんとも複雑な表情が浮かんだ。徳田は大抵の感情は隠してしまう奴だが、こんな顔を見せるのはかなり珍しいことだ。
「結局、あの日は二人で行くことになったんだ」
「そうか、確かサークルの戸川とか言う奴を誘うとか言って」
「その戸川が用事でこれなくなったもので、俺と穂積さんの二人で行ってきたんだ」
「へえ」
 僕は再び徳田をからかうネタを見つけたので、さりげなく言ってやった。「穂積さんと二人でリサイタルなんて、ロマンチックだな。彼女、おしゃれしてきたんじゃないか?」
「そう、だな。確かに彼女はきれいだった」
 僕は次の言葉が出なかった。
 澁谷先生を見ても「きれいだが、それだけだな」と言いきり、世間の女性には何の興味もなさそうな徳田が、女の子を誉めた……。
「そ、そうか、で、演奏は、ど、どうだったんだ」
 ……僕の方がうろたえてどうするんだ。
「いや、文芸学科にいながらこんなことを言うのは卑怯だが、言葉では言い表せない感動を覚えたよ。やはり生演奏はいい」
「へぇ」
 僕は音楽にはあまり興味がないので、返事がいささか素っ気無いものになってしまった。
「で、例のなんとかさんは、俺に似てたのか」
 僕がきくと、徳田は即答しなかった。なんと答えたものか悩んでいるらしい。
「そうだな……声が似ていると思った」
「声? 最近のピアニストは歌でも歌うのか」
「お前は何を言って……演奏の前に彼の朗読があったんだ」
「なんだ」
 声ねぇ。自分の声がどんなものかよくわからんが、輪郭が似ていれば声も似ているだろうという夕佳里さんの読みはあたったらしい。
「美人とリサイタル行けてよかったなぁ。デートみたいだな」
 僕がからかうと、徳田はしきりと眼鏡のフレームを押し上げたりして表情を隠すようにしていたが、やがてぼそりと言った。
「戸川が……穂積さんのことが好きなんだ」
「……そ、そうか」
 僕はそれ以上何も言えなくなった。
 徳田の友達が彼女を好きだと彼が知っている以上、徳田は穂積さんのことが好きであっても絶対言わないだろう。僕がこんなふうに穂積さんとの仲を、けしかけるように言うべきじゃない。
「……悪かった」
 僕が言うと、徳田はふっと笑った。
「俺は、トランペットフェチだからさ」
「……」
 それは、トランペットがあれば彼は独りでもいいと強がっているのだろうか。彼の笑みは自嘲的で    僕はその後しばらく彼のその顔を忘れられなかった。
 気づくと教室の中は学生であふれ、席はほとんどが埋まっていた。僕と徳田の隣は鞄がおいてあるので誰も座らなかった。高崎はいつになったらくるのやら。
「ここ、あいてる?」
 僕が振り向くと、夕佳里さんが机の上に鞄を置いて立っていた。
「ああ、えっと」
「高崎は俺の横に座らせるから」
 徳田がそう言ってくれたので、僕は置いていた鞄をよせて、彼女の席をあけた。
「ありがとう」
 彼女は椅子に座り、鞄から筆記用具を取り出して机の上に置いた。
「君もこの授業取ってたんだ」
 僕が言うと、彼女は苦笑した。
「取ってたけど、出るのは数えるほどだね。いつもは圭ちゃんがノート取ってくれてるんだけど、今日は交代」
「ああ、穂積さんはSWEに行ってるんだよな」
「彼女は練習熱心だから。他の団員にも見習わせたいよ」
 徳田が言うと、夕佳里さんはにっこりした。
「うん、そうらしいね。マユちゃんが言ってた」
 そっか、夕佳里さんもSWEの人と多少の面識があるわけだから、あのマユちゃんのことも知っているわけだ。ということは、徳田の学科とサークルのギャップも知っていたのだろう。そこらへんは徳田が口止めしていたのかもしれない。もしくは言わない方がいいだろうと、彼女達が判断したのか。サークルでの徳田の話をあまりきいたことがなかったし。
「お待たせー」
 高崎が明るい声で言いつつやってきた。僕の隣に座る夕佳里さんを見ても、彼は何も言わず、徳田の隣に座る。
「遅い」
 厳しい声で徳田が言ったので、高崎が両手で顔を覆って泣くマネをしたが、徳田が「泣いてもムダだ」と追い討ちをかけた。……何やってんだ、前の二人は。
 あ、そうだ。
 僕は鞄の中をあさった。今日買ったばかりの本を取りだし、机の上にのせて夕佳里さんの方によせる。
「なに?」
 夕佳里さんが手に取り、ぱらぱらとめくった。
「あ、これ……」
「今日買ったばかりだからまだ読んでないけど、興味持ったから」
 彼女は嬉しそうな顔で本を見ていたが、顔をあげて僕を見た。
「読んだらぜひ、感想をきかせて」
「いつ読み終わるかわからないけどね」
 そうだ。夏ぐらいにするという映画、本と似たようなストーリーだし、もしかしたら彼女も興味持つのではないだろうか。誘ってみたら、一緒に行くと言ってくれるかもしれない。
 ……でもタイトルを忘れているし、いつから始まるのかもはっきりしていないから、誘うならもう少し後にしよう。
 先生が教室に入ってきて、授業が始まった。
 この授業は演習でなく講義なので楽だ。徳田は予想していたとおり、語学の予習を始めた。高崎は……寝ている。僕も本当はも寝てしまおうかと思っていたが、高崎が寝ているので起きていることにした。
 ふと横をむくと、夕佳里さんは真剣な顔でノートに何かかいている。黒板には何も書かれていないのに、先生の話を書きとめているのだろうか……と思ったら、なにやら絵をかいているらしい。
「……何かいてるの?」
 僕は少し興味を抱いて、彼女に話しかけた。
「え、ちょっとね」
 彼女は小声で答え、そろっと僕のほうにノートを差し出した。
「小説のキャラなの」
 見ると、女の子の顔やら全体像の絵の隣に名前や身長、年齢の設定などが細かくかかれている。
「卒制……じゃないよな、論文って言ったし」
「これは趣味として書く小説のキャラ」
 へえ、かなり上手だな。雑誌に載ってるイラストといい勝負だと思う。少なくとも紫よりは絶対上手い。
「これが主人公の女の子で」
 ページをめくると、違う女の子がかかれていた。
「こっちは友達の女の子。他にもキャラはいるんだけど、まだかいてないの」
「いちいち全部のキャラの絵をかくわけ?」
 僕の質問に、彼女は首を振った。
「全部ってわけじゃなくて、主要キャラだけ。こうやってイラストにすると、イメージがつかみやすくなるから。髪が長いとか、身長とか、いろいろとね」
 なるほど。
「絵が上手だね」
「それほどでもないよ」
 そう言って、夕佳里さんは左側の髪をかきあげながらさらさらとノートに何かかきこんだ。それは額にバンダナをして、ガクランを着た、僕のよく知っているゲームのキャラだった。
「あ、すぐわかる。京だ」
「わかった?」 
 逆に僕もあるキャラを描いたが、どうもうまく描くことができなかった。
「え、誰だろ……わかんない」
「うわ、わかんない? この髪型で」
「えー?」
 思わず笑い声が大きくなったので、僕らは焦って周りを見回した。先生の注意が違うほうにあるのを確認し、再びノートにキャラをかきこむ。
「あ、これ紅丸でしょ」
「違う、ジョー東」
「区別つかないよ。ジョーなら髪黒く塗らないと。あとハチマキね」
 僕が描いた絵の上から彼女が付け加えると、確かにそれは僕の描いた時よりもゲームのキャラに近くなった。
「お、うまいね」
「昔からよく絵を描いてたから」
 少し照れたような笑みを浮かべ、彼女は言った。
「小説のキャラをイラストとして現わせるのはいいね。具体的なイメージをつかみやすい」
 まあ小説の挿絵は、たまに読み手のイメージを裏切ってもくれるが。
「でしょ。あまり描き分けできないのが欠点なんだけど」
 実際にいる人間をモデルにすると書く時はその人のイメージで書けるが、自分がゼロから創り出したキャラは、自分の頭の中ではっきりした姿を創りあげられなければ、言葉でそのキャラを表す事ができなくなる。一番キャラの姿をつかまなければならないのは自分のはずだが……僕は曖昧な言葉だけで表して後は読者の想像にまかせるところがある。まあ去年のあの作品は、特にはっきりさせなければならないという理由もなかったので書く気もなかったのだが。大体登場人物名前すら出てこない話だったし。そういう点は、ズルしたかもしれない。
「そうだ……君は、俺の小説読んだ?」
 僕の言葉に、夕佳里さんは頷いた。
「うん、読んだよ。去年のやつでしょ」
「あれに出てくる『彼女』って、なんとなく、君に似てる気がするんだけど」
 そう言うと、夕佳里さんは複雑な表情を浮かべた。右手にもったシャーペンでこめかみのあたりを軽く叩いている。
「そう、かな……」
「髪が長くて、目が大きくて……って言ったら、別に君だけじゃないんだけど、なんか……なんとなく、なんて言うか」
 例えば……あの作品を映画化するなら。『彼女』の役を演じるにはぴったりのイメージを持っているのが夕佳里さんだと、僕は思う。
「似てるのかな……」
 彼女はふっと眼をそらした。彼女は先生が黒板に何かかきこんでいるのをちらりと見てから、またこちらを向いた。
「でもそう言えるのは、私の性格をよく知らないからだね。誰かに似ているなんて……その本質まで全く似ているとは絶対言いきれないじゃない」
 ……おっと、意外と強い否定の言葉が返ってきたな。
「もちろん、似ているとは言ってもそのものだとは言わないよ」
 僕は言った。彼女が気分を害していないならいいのだが。
「確かに僕は君のことを知らないから、似てるというのはあくまで表面上のことだしね」 
 彼女はこれに対して何も言いかえさなかったが、しばらくしてぱっと表情を和らげた。
「……別にムキになって言うことでもないよね」
 少し笑って、彼女は言った。
「私が『彼女』に似てるって、誉め言葉だととっていいのかな。『僕』が一途に愛していた女性だもの、素敵な人なんだよね」
「そう、だね」
 そう言われて、僕は照れてしまった。
「佳月君、あまりあの作品の感想を女の子からきいてないでしょう」
 夕佳里さんがそんなことを言い出したので、僕はきょとんとしてしまった。
「なんで?」
「やっぱり知らないんだ。知ってたら、さっきみたいなこというはずないよね」
 くすくす笑う彼女に、僕はわけがわからなかった。
 ……なんなんだ。何を知っていたら?
 僕がまともに感想をきいたのは徳田ぐらいで、高崎はほとんど読んでないようだし、他の友達も恋愛小説を読まない奴ばかりだったから……まして女の子に感想なんかきいたこともない。
「なに、何のこと?」
 僕がきいても、夕佳里さんは笑ってはぐらかした。
「圭ちゃんにきいたら教えてくれるよ。私からは……ちょっと言えないな」
 気になる。
 徳田は知っているだろうか。でも授業中に前の席にいる徳田に話しかけるのはさすがに気がひけた。夕佳里さんは教えてくれる気がまったくなさそうだし……。
 授業が終わると、夕佳里さんは穂積さんと会うと言ってさっさと行ってしまった。まあ聞いてもムダだっただろうし、仕方ない。
 僕は目を覚まして大あくびしている高崎と、鞄に辞書をしまいこんでいる徳田の前にまわった。 
「あの、さ」 
 なんと切り出そうか迷った。最近一年も前の小説の話を何度もしているので恥ずかしかった。まるで俺がその作品を自慢にしているようだし、過去の作品にやたらこだわっていると思われるのも嫌だったが……でも聞かないと知りたい事がわからないしな。
「去年の俺の小説だけど」
 そこまで言うと、徳田が顔をあげた。
「ああ、あのロマンチシズムに満ちた小説か」
 もうその呼び方はやめてくれ……。
「あれ、女の子の間でどう言われてるか、お前知ってる?」
 僕がきくと、徳田は肩をすくめた。高崎が自分の肩をトントンと叩きながら答える。
「知っとるけど……でもいろいろ言われとるし、漠然ときかれてもなぁ」
「えーと……『彼女』についてのことは?」
 高崎は徳田と顔を見合わせた。
「『彼女』についてって言ったら、あれやんなぁ」
「ああ、あれだな」
 僕にはわからないが、二人で頷きあっている。
「なんだよ、あれって」
 僕がきくと、徳田が「お前が言え」と高崎を促した。高崎はどこか面白がっているような口調で言った。
「あの『彼女』は、佳月の理想の女の子だって噂が流れとった」
 ……………。
 あの作品の『彼女』が、僕の理想? つまり好みのタイプってことか?
『知ってたら、さっきみたいなこというはずないよね』
 夕佳里さんの言葉を思い返す。
 ……確かに知ってたら、あんなこと言うもんか。下手に言うと誤解されかねん。『彼女』が俺の理想で、『彼女』が夕佳里さんに似ているなら、つまり俺の理想が夕佳里さんて事に……って、彼女は俺が噂の事を知らないとわかっていたからあんなふうに言ったわけで、とりあえす彼女に誤解はされてないらしい。
「だから佳月が、芳峰さんが『彼女』に似とるって言った時、ああいうタイプが理想なんかなー、とちょっと意外に思っとってんけど」
「いや、俺はそんなつもりじゃ」
 慌てて否定する。付き合いの長い高崎にそう言われるとは。僕を知らない他人までそうと信じているのかもしれない。
「まさか、芳峰さんにその話をしたのか」 
 徳田の指摘に、僕はぎくっとした。動揺は隠したつもりだったが、見ぬかれたらしい。
「……バカだな」
 ぼそっと言われて、僕はなんとなくむっとした。
「なんだよ、とりあえず彼女は誤解はしてなかったからいいじゃないか」
 僕か言い返すと、徳田はため息をついた。
「ええやんか。相手が誤解してへんなら」 
 高崎が慰めるように僕の肩をたたいた。
「それに、佳月のそういうとこは、今に始まったことじゃないやろ」
 高崎、お前フォローしてくれよ……。
「そうなのか? 佳月は何をやらかしたんだ」
「佳月のフェミニストぶりに、誤解した女の子が二人ほどおったよな」
 ……………………。
「もうやめよう、この話は」
「で、どうなったんだ」
 僕は止めようとしたが、徳田が興味を示したので高崎が調子にのって続ける。
「いや、そりゃもう、修羅場ですわ」
「ほう、そうなのか」
 ……こいつら?。
「そこまで言うなら……高崎。俺も暴露させてもらおうか」
 僕の言葉に、高崎は余裕の笑いを浮かべた。
「俺、別に暴露されて困るようなネタはないで」
 脅しだけですませるつもりだったが、こういう態度をとられると言わずには済ませられないな。
「そうか? 修学旅行で飲酒したあげく、旅館の庭の隅で泣いているのを部屋に連れ戻してやったのは誰だと思ってるんだ」
 言うと、高崎は慌て出した。
「うわ、そのネタはもう古いやろ? 二年も前の話やんか」
「それを言うなら俺の方が古いだろうが」
 えっと、他になにがあったかな。
「それから……」
「もういい、わかったわかった、もうやめ!」
 高崎が叫ぶ。
「俺が悪かった、もう終わり!」
 高崎の声に、教室内に残っていた学生が何事かとこちらを見ていた。
「なんだ、もう終わりか」
 この話題で唯一過去に触れられなかった徳田が残念そうにつぶやく。
「いや、楽しい話をきいたな」
「お前なぁ」
 徳田をいじめようにも、特にネタがない。マユちゃんの件を振ればいいんだろうが、ちょっと気の毒な気もするのであまり言うことができない。
 不毛な会話が終わったところで、移動の用意をする。
「そろそろ、次の授業に行くか」
「そうだな」
 次の授業も講義だから楽なものだ。ただ徳田は違う授業をとっているので、廊下で二手に分かれた。
 次の教室にむかう途中、高崎が僕の顔をじっと見てきた。
「なんだよ」
「いや、佳月は怒ってないようやな、と確認しただけや」
「いいよ、別に」
 高崎は、僕が本当に言われたくないことを言ったりしないし。
「しかし、思い出すと修羅場やったやんな、あの時は」
 ため息と共に、高崎がつぶやいた。
「……まあな」
 思い出すとまた古傷が痛むから、あまり口にはしたくない話だが。
 階段を上がっていると、先に立っていた高崎が言った。
「佳月は、彼女つくらんのか」
 僕は思わず足を止めた。高崎は振り返り、僕を見下ろしていた。こういうイチュエーションでなければ、いつもは僕が彼を見下ろす方なのだが。
「またどうしてそんなことを」
「無関心みたいな顔して、いつまでも過去にこだわってるのはどうかと思うねんけど」
 全部知っている高崎だから言うセリフだった。気を許している高崎だから笑って流せるセリフだった。 
「自分こそ、独りのくせに」
 僕が言い返すと、高崎は苦笑した。
「お互いに、これからやな」

離れずに暖めて
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