「な、佳月君」
放課後だった。僕らは学校帰りによく梅田でうろうろしたり、マクドやセルフサービスの店で飲み物だけを注文し、会話で何時間も費やしたりした。それはデートと呼べるものでもなく……かと言ってデートらしいデートなど、僕には思いもつかず……結局この一ヶ月ほど繰り返される、日常的な行為。
いつものように店で飲み物だけを頼み、僕らは向かい合わせの席に座った。
彼女はメロンソーダフロートのアイスをスプーンですくって食べ、僕はアイスコーヒーのミルクとガムシロップを調節しつつ流し入れて……ふと、彼女が僕に話しかてきた。
「な、佳月君」
「なに?」
僕は顔をあげた。彼女はスプーンを手に、にこにこと僕を見つめていた。
「うちら付き合い出してから、もう一ヶ月やな」
「ああ」
僕は言われるまでも無くわかっていることに、頷いた。
高崎が言っていたが、女ってのは記念日だとか何日目、とか何回目、とかいうのにこだわる傾向があるらしい。高崎の知っている女の子は、手帳に毎月「彼氏と付き合い出して何ヶ月目」とかいているらしい。記録更新をしているわけでもなかろうに、そんなふうにメモして何が楽しいのか、僕には理解できない。
「で、なにか?」
僕がきくと、彼女はスプーンを置き、空いた右手で自分を指した。
「うちの名前、呼んでみて」
「高山」
僕が言うと、彼女は不満そうな顔をした。自分をさしていた指を左右に振る。
「違う、名前の方で呼んで」
なんだ、そういうことか。
付き合い出してからも僕が変わらず彼女のことを苗字で呼ぶから、彼女は呼び方を変えろと、そう言いたいらしい。
「呼んで」
彼女はじっと僕を見ていた。僕は目をそらす。
なんか、改めて言われると照れくさい。心の中で呼ぶのはたやすいが、それを口に出すとなると……。
「なぁ、早く」
「せかすなよ」
僕は深呼吸した。彼女は笑い出した。
「そんな大層なことなん?」
「うるさいな」
僕はアイスコーヒーを飲んだ。どうせ今言わなければこいつは絶対納得しないだろうし、覚悟決めて言うしかない。
「愛子」
僕が言うと、彼女は言った。
「もう一回」
……ったく。
自分の頬が紅潮していることがわかった。俺のガラじゃないんだが……。
「愛子」
「うん」
僕が半ばやけくそになって繰り返すと、彼女は……愛子は、心底嬉しそうな顔をして、微笑んだ
。
少しずつ、じめじめした季節に近づいて行く。
僕の心にもカビが生えそうだ。じめじめして、暗くて……どうしてこう、うざったい気分なんだ。たぶん夢見が悪いせいだ。
今日は……十二日の火曜日か。僕は高崎と食堂で待ち合わせをしていた。僕は週のうち、月土は休みだ。水曜日は自主休講すれば休みになるが、ズル休みは月に一度と自分に課しているので、月に一度だけ、水曜日を休む。休みの日に何をするかと言うと、バイトである。僕は食費と通学費だけは必ず自分で払っている。学費は出世払いということで、今のところは親に甘えている身分だ。さすがに百万単位の金を学生の身分で返すのは不可能だ。
今週の個人面談に備えて、少なくとも卒業制作のテーマやスタイルは考えておかないとならない。うかうかしていると、あっという間に四回生になって、あっという間に卒業だ。卒制留年なんてしたくないし、真面目に考えなければ。
僕は食堂までの道をてくてく歩いていた。ゆるかやな坂になっているので、このじめじめ感とプラスして、気力を消耗させられる思いだった。まあ食堂についたら何か食べるし、休憩もできる。だが考えなければならないことが僕の気持ちを重くしていた。卒制のことも、今月中に出さなければならないレポートのことも……。
「佳月君」
すぐ傍で僕を呼ぶ声がした。
「は?」
僕はMDのヘッドホンを片方外して振り返った。呼びかけられたのは一瞬気のせいかと思ったからだが、隣には気のせいでもなくちゃんと声の主が立っていた。
「ありゃ」
僕は思わずそんな声をあげた。びっくりしたのだ。声の主は僕の知っている人ではあったけれど、声をあげてしまうほど意外な姿をしていた。
「清水さん、髪切ったんだ」
僕が言うと、声の主は……清水さんは照れ笑いを浮かべた。
清水さんの肩ぐらいまであったウェーブヘアはばっさりと切られ、ベリーショートと言っていいほどの長さになっていた。短い髪は巻き毛のようにカールしていて、そのボーイッシュな感じが清水さんによく似合っていた。前の大人びた髪型とはまた違い、肩やうなじが露わになったせいか、どことなく傷つきやすそうな印象があった。淡い色のシャツとジーンズというラフな格好ながら、耳元に揺れる花をかたどったやや大きめのピアスがぱっと目を引いて、髪を切りたての初々しさをもつ顔に自然と視線がいってしまう、それを計算したようないでたちだった。
「どう……かな、結構ばっさり切ってんけど」
清水さんは首筋に右手をやった。
「いや、びっくりした。潔いぐらいばっさりいったね」
「はは」
清水さんは首から右手を離した。その右手の指は無意識なのか意識しているのか、しきりと唇やあごを触った。
「食堂で高崎君と待ち合わせしてるんやろ? さっき会ったで」
彼女がそう言い出したので、僕は少し驚いた。
「高崎を知ってるんだ」
「うん。一回生の時の専攻で同じやったから」
清水さんは鞄からコーラのペットボトルを出し、一口飲んでまたボトルを鞄にしまった。またしばらくすると、右手は唇のあたりを触る。
「それ、クセ?」
僕が言うと、彼女はきょとんとした顔をした。
「その口元触る仕草、この前は見なかったけど」
僕の言葉に、清水さんはきまり悪そうな表情になった。さっきまで口元を触っていた右手をぷらぷらと振る。
「あ、うん、直そうとは思ってるんやけど、どうしても……タバコやめてから、どうも口元が寂しいと言うかなんというか……」
「タバコ、やめたんだ」
「うん、まあ……」
そう言いながらまた無意識に動こうとした右手に気づき、清水さんは苦笑いをした。禁断症状のように表れる仕草のようだ。
「この前、俺が……やめたほうがいいって、いったから?」
問いかけると、清水さんは表情から笑いを消した。ふっと真面目な顔をする。その唇が何か言いかけようと開き、唐突に閉じられた。彼女の視線は僕の後ろに注がれている。
僕が振り向くと、ちょうど徳田が2メートルほどの距離までやってたところだった。手にビニール袋をもっている。袋は食堂の横にあるパン屋のものだった。買い物を済ませて、これからどこかにいくらしい。
「よう、佳月」
「よう」
僕は軽く返した。徳田は清水さんの方を見た時少し意外そうな顔をしたが、特に何も言わなかった。たぶん髪型のことで何かしら思ったのだろう。清水さんの方も何も言わなかった。思えば二人は、今までそれほど会話を交わしていないので、知り合い程度の認識らしい。
「高崎、食堂で待ってたぞ」
徳田に言われ、僕は高崎のことを思い出した。飯を食う約束をしていたのに、きっと飢えて強暴になっているに違いない。
僕は時計を見た。
だいたい11時半に待ち合わせたのだが、時間は12時になろうとしている。そろそろ午前の授業も終わり、学生が食堂にあふれる時間になる。混み出すと食券を買うのも一苦労だ。
「ごめん、清水さん。俺行くから」
僕が言うと、清水さんはにこっとして首を振った。
「いや、高崎君が待ってるの知っとったのに、引きとめてごめんな。じゃあ」
彼女が去っていったあと、徳田が何か言いたそうな顔をしているのに気づいた。 「なんだよ」
僕がいうと、徳田はやれやれといったように肩をすくめた。
「いや、女は怖いと思ってね」
は?
「なんでもないよ。俺はこれからサークルの方に行くし、お前と会うのは明後日……ゼミの面談の日だな」
「ああ、じゃあな」
徳田と別れ、食堂に向かう。
そろそろ午前中の授業が終わる時間なので、学生の数が多くなってきている。食堂の中も開いている席はほとんどないだろう。まあ高崎が先に来ているので、そこのとこの心配はしていないが。
あ、いたいた。
窓際の席に座っている高崎を見つけ、僕は近寄った。
「よう、待たせた」
僕が声をかけると、高崎は慌てたようにこちらに向き直った。何か書いていたらしいルーズリーフを、まるで僕の視線から隠すように鞄の中に入れてしまう。
「遅いよお前。さっさと飯食おうや」
「ああ」
僕は鞄をテーブルの上に置き、財布だけもった。食券の券売機に並ぶ列はそれほど混んでいないので、あまりまたずに済みそうだ。僕が先に並び、高崎は後ろに立った。
「そうだ、佳月。夏休み、一日ちょっと付き合えや」
高崎がいきなり言い出した。
「別にいいけど」
僕は何を食べようか考えていたので、適当な返事を返した。
「去年みたいに釣りにいくのか?」
あ、もう食券売り場の順番が次だ。あまり悩んではいられない……うーむ、何にしよう。
「いや、釣りじゃなくて……」
よし、決めた。天丼にしよう。
僕は財布から五百円玉を取り出し、券売機にいれた。
「海遊館にいこうと思ってんねん」
「は?」
僕は予想外の返事をきいて、思わず高崎の方を振り帰った。天丼のボタンを押そうとした指がそれて、何やら違うメニューをおしてしまう。
「あ」
僕と高崎はつぶやいた。点滅しているのは、スタミナラーメンだ。丼もののメニューの下の段はラーメンだったらしい。
しかし、よりによってスタミナラーメンとは……。
「高崎、お前食えよ」
「あ? 俺はカツ定食……」
「俺は天丼食おうと思ってたのに、お前のせいでこんなの押したんだから責任取れよ」
僕が食券をおしつけると、高崎はぶつぶつ言いながら僕に五百円よこした。僕はそのお金でカツ定食の券を買う。
「お前天丼じゃなかったのか」
「いや、お前のかわりに食べてやろうと思って」
僕が言うと、高崎はがくっとして、手もとのスタミナラーメンの食券を見た。
「この時期にこれかよ……」
「どっちにしろ、俺はそれは食べられないから、お前に食べてもらうしかないんだし」
僕が言うと、彼はしぶしぶながら頷いてラーメンのカウンターに行った。僕が定食のカウンターに並んでいると、早くもできたらしく、ラーメンの丼をトレイにのせた高崎がやってきた。
「おい佳月、お前知らなかったのか」
いきなりわめくので、僕は面食らった。
「なんだよ、いきなり」
僕は食堂のおばちゃんに渡された吸い物のお椀をトレイにのせた。カツは揚がるまで少し時間がいるらしいので、少し待つことになる。
「間違えて買った食券、払い戻してくれるらしいやんか。俺こんなの食わずにすんだのに……」
高崎のスタミナラーメンは、キムチたっぷりのラーメンだ。汁も赤くてとても辛そうに見える。僕はキムチが食べられないので、スタミナラーメンだけはだめだ。
「そんなの知らなかったよ。まあ注文したものは仕方ないからさ、ラーメンのびるし、先食っとけよ」
高崎は「絶対知ってたやろ」とぶつぶつ言いながら、席に帰っていった。
いや、俺はそんなこと全然知らなかったけどなぁー……。
と、カツ定食ができたので、僕もトレイをもって席に戻る。
高崎は一足先に食べ始めていたが、辛いらしくなかなか中身が減らない。半分食べるまでに二回水を取りにいっていた。
「で、なんで海遊館なんだ」
僕がそもそもの元凶である話題にふれると、高崎はコップの水をぐっとあおり、飲みこんでから口を開いた。
「いや実はさ、清水と瀬戸から誘われてんけど」
清水……ったら、僕の知っている限り同じ3回生の清水さんは一人だけだし、瀬戸さんは……と言えば、確か同じゼミの人だ。この前のゼミコンでしゃっべた記憶がある。
「瀬戸の方は大阪出身じゃないらしくて、まだ海遊館に行ったことがないらしいねん。それで夏休みに行こうってことになって、俺が車出して、一緒に遊びに行こうって話やねんけど」
「俺行かない」
僕はきっぱり断わると、高崎は慌てた。
「……っと待てよ。お前に断わられたら、俺誰誘えばいいねん」
「徳田がいるだろ」
「あいつだって行くわけないやろ?」
「じゃあ前倉」
「清水は前倉苦手だって言ってたし」
「じゃあ他の……お前友達いっぱいいるだろうが」
「瀬戸も清水も知らない奴より、多少知っているお前の方がいいってことでお前にふってるわけやろ」
「でも、俺は……」
言葉をにごすと、高崎はふっと口をつぐんだ。しぱらくじっと僕の顔を見ていたが、やがてぼそりと、
「海遊館が嫌なのか」
ときいてきた。
「嫌って言うか……なんというか」
愛子と付き合い出して3ヶ月ほどした頃、初めてのデートらしいデートの行き先が海遊館だった。日曜日だったから人が多くて、あいつは背が低かったから、魚がよく見えないと文句を言って……それでも僕が初めて梅田以外の場所に連れていったことに、大げさなぐらい喜んでくれて。日も暮れた頃海を見ながら歩いて……若かったよなぁ。他にも人がいたというのに、そんなこと気にもしないで、ムードに流されてファーストキス交わしたりして……って、思い出すと照れる。
「……どうした?」
黙りこんだ僕に、高崎が不審そうに声をかけてきた。
「いや、別に」
僕はカツを口に運んだ。
最近、やたらと愛子を思い出すようなことばかりだ。気にすまいとしているのに俺が忘れられないのは、あいつを傷つけてしまったという罪悪感のせいなのは充分わかっている。俺が1年もあいつの彼氏でありながら結局何一つ愛子のことをわかっていなかった自分自身に対する憤りが、時の流れが僕の中から過去を消し去ることを許してはくれないのだ。
「まいったなぁ……」
高崎がスタミナラーメンをつつきながらぼやいた。ラーメンはややのびかけて、もはや不味そうに見えた。
急に、高崎が気の毒になってきた。
僕は友達として、高崎に何度か助けられたことがある。もちろん僕も高崎を助けた事はある。高校からの付き合いだ。その友達が持ちかけてきたことを、あっさりと断わるのは非情かもしれない。誘いを断わられてがっくりしている高崎が不味そうなラーメンを食べているのを見ていると、海遊館に一緒にいくぐらいのことはしてやってもいいのではないだろうか、と思えてきた。
僕はしばらく黙っていたが、意を決していった。
「……海遊館、一緒にいってやってもいいよ」
僕が言うと、高崎はぱっと顔をあげた。
「マジか?」
僕はただで誘いに乗るのはなんとなくシャクだったので、高崎の手もとのラーメンをさした。
「それを汁まで残さず食ったらな」
高崎はラーメンに目をやった。箸で麺をすくいあげると、まだかなりの量があった。キムチもまだたくさん浮いている。
「……」
僕はカツ定食を食べ終わり、お茶をすすった。
高崎は麺をせっせと口に運び、ずずずとスープをすすっている。
僕がお茶のおかわりを入れて戻ってきた時に、高崎はラーメンの丼をどん、とテーブルの上においた。
「ク……ク、苦しい……」
高崎はテーブルに突っ伏してうめきながらも目だけで僕を見た。
「約束だからな、一緒にこいよ」
僕は入れたての熱いお茶を少し飲んでから口を開いた。
「一緒にいってやってもいい、とは行ったけど、行くとはいってない、って言ったら……お前キレる?」
僕の言葉に、高崎はがくりとした。
「お前、高校の時より性格悪くなったよな……」
嘘だよ。
ちゃんと一緒に行ってやるって、海遊館。
木曜日。
ついにきた、ゼミの面談の日だ。
昨日の夜いろいろ考えていたが、どうもこれと言っていいネタがない。
やばい。
ともかく今のところは、まだ「決定ではない」からいいものの、来年には着手してしまわなければならないというのに。
創作なら原稿用紙80枚以上、論文なら50枚以上。まあ創作で行くのは決定だが、問題はどんな話にするかだな。うちの大学は変わっている。卒業制作を本として提出しなければならないのだから。まあ巷で製本セットなるものはいろいろ売られているので問題はないが、つもりは書き上げるだけでは完成にならず、どうにか本の形にしなければならないわけで、その時間も考えるとなると……うーん。
結局、まとまりきらないうちに学校に行く時間になり、僕は出かける用意をして原付の鍵をもった。
「あら友君でかけるの」
母が台所から顔をだした。
「学校だって、学校」
俺の授業のある日ぐらい覚えろよ、と言いたいが、覚えられてもまた不都合があるので、僕はそう言わなかった。
「帰りに買い物してきてよ」
「悪いが、買い物できるとこにはよらない」
「よってきて」
「えー……」
「夕食あんたの好きなカレーにするから」
俺は小学生のガキか? と、これ以上言い合いしていてもラチがあかないので、渋々買い物をしてくることを承諾する。
「高崎君なんて一人暮ししてるんでしょ? えらいわよね。自分で全部やってるなんて。たまには夕食つれてきたら?」
「はいはい。俺もう行くから」
僕は靴をはいた。
高校の時は高崎の家でご馳走になったり、逆に僕の家に招いたりしていたが、大学に入ってからはあまりそういうことはしていなかった。徳田も俺の家にきたことないし、今度二人を誘ってもいいか。
原付で駅までいき、環状線に乗る。昼前の電車はあまり混んでいなくて楽だ。大学に入ってからは、朝のラッシュというものに巻きこまれることもない。
僕はゲームボーイを取り出した。環状線に乗っている時間はそう長くないが、ただ突っ立っているには長い。今RPGに似たゲームをしているので、経験値をためてレベル上げぐらいはできるだろう。
僕が下を向いてゲームをしている間に、電車が次の駅にとまった。今乗りこんできたらしい客が、僕の隣に立つ。視界に入る服装から判断するに女の子のようだが、どうやら僕のゲームボーイを覗きこんでいるらしい。
なんなんだ、こいつは。
ぱっと顔をあげて、僕は目を丸くした。いや彼女がここにいてもおかしくないのだ。今とまっていた駅は、彼女の最寄駅なのだから。
「宮下さん」
「おはよう」
彼女はいたずらを見つけられた子供のような笑みを浮かべた。
「ゲームボーイで何をしているのかと思えば、ポケモンしてたんだ」
「ああ、まあね」
僕はキリのいいところでゲームを中断し、ゲームボーイを鞄にしまった。
「今日、面談だな」
「そうだね」
宮下さんは髪を後ろでおだんごにして結い上げていた。そうしていると普段が背中の中ほどまで届く長い髪だということを忘れてしまいそうだ。今日の宮下さんは化粧をしていた。服装も落ち着いた色のワンピースで、鞄もラフじゃない、皮製のものだ。学校でなくてどこかへお出かけする格好みたいだ。
「どう、卒論のテーマは」
「うーん、まだ悩んでる」
「創作? 論文?」
「創作だよ。でもどんな話にするか決めてない」
僕らは同レベルらしい。
天王寺についたので、電車からおりた。ここから乗り換えて30分ほど電車に揺られれば大学の最寄駅になる。
「面談の順番、何時ぐらいになるかなぁ」
「今日は確か、田中ってやつからだから、その二人ぐらい後が徳田で……」
「一時から始めるから、徳田君は二時前?」
「一人三〇分もしないよな。15分から20分ほどってかいていたし。でも徳田は絶対三〇分は語るな」
僕は二回生の時の授業を思い出した。ある専攻の講義で、授業の残り時間があと三〇分という時に徳田の発表があり、その発表と言うのは一人15分ほどというものだった。しかし徳田の次にあてられる予定の人物が発表の用意をしていなかったために、徳田はどうにか時間をのばしてほしいと頼まれていた(その授業の三宅先生は、怒らせるとテストが難しくなると言う話だったので)。
徳田の発表自体は20分ほどで終わったが、その後奴は10分間も自分の意見を語った。三宅先生の鋭い指摘にもたじろぐことなく。結果として徳田は皆の期待に見事応えたのだった。これで徳田はしばらく文芸の伝説の人となった。『あの三宅先生の授業で、三〇分も語ったらしい』と。
「徳田君は、もう卒論のテーマ決めてるのかな」
「たぶんね。確か論文の方だったはずだ」
僕は電車の窓から外を眺めていた。もう少ししたら、田植えが始まる。そして梅雨。そのうちに夏がくる。季節感あふれる景色だよな、まったく。つまり田舎ってことか。
僕は景色から視線を外し、ふっと宮下さんのほうを向いた。さっき気づいた事を口にしてみる。
「今日は化粧してるんだ」
僕が言うと、彼女は微笑した。
「うん、ちょっとね」
「今日は予定があるわけ」
「まあね」
デートかな。
僕はふとそんなことを考えた。
これだけかわいい彼女だから、彼氏がいてもおかしくはない。時折見せる陰りすら、保護欲をかきたてられるような……って、僕がそんなこと考えても仕方ないか。
「デート?」
さりげなく、きいてみた。宮下さんは首をふる。
「そんなんじゃないよ。そもそも彼なんていないし」
意外。でもまあ可愛ければ彼氏がいるってことにはならないしな……。
「今日は親戚の人と会うから」
僕の質問攻めを交わすかのように、宮下さんは答えを口にした。
「そうなんだ」
なんかいろいろきいて悪かったかな。
僕が黙っていると、宮下さんは視線をあげ、僕を見た。
「ね、私……」
いいかけて、ふっと口をつぐんだ。何やら言いにくいらしく、言葉を選んでいるようだ。
「なに?」
僕が聞き返すと、宮下さんは視線を窓の外に向けた。
「ううん、また今度言う。そのうち教えるね」
……なんだろう。何のことだ。
僕が訝しげな顔をしているのに気づいたらしく、宮下さんは慌てたように付け足した。
「違うの、まだ決定していないことを言おうとしたから、ちゃんと決まってから言おうと思っただけ。それだけだって」
その言葉を信じると、言いかけたことはそれほど深刻にとらえなくてもいいことのようにきこえた。
どちらにしろ、僕には待つしかないらしい。
彼女が伝える気になるときまで。
……気づけば、電車は大学の最寄駅につこうとしていた。