Time Has Come
我が名は李徴    東條 弓月
 「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、賎吏に甘んずるを潔しとしなかった。……」
  さて、これは何と言う作品の冒頭だろうか? そう聞けば、多分多くの人はきちんと答えられるに違いない。正解は中島敦の『山月記』である。今でも載っているのかどうか知らないけれど、僕は高校2年生の時に国語の教科書でこの作品を読んだ。
  忘れられない想い出がある。その授業の時、隣の席に座っていた女の子が唐突にこちらを向いて、小声で「東條くんてこの主人公みたいやね」と言った。決してからかいでも非難でもなく、単純にそれが事実であるかのようにさらりとした口調だった。僕はその頃16歳で、毎日訳のわからない怒りに駆られては、吐き出すように詩とも小説ともつかない文章をノートに叩きつけていて周囲に心を閉ざしていた。だから冗談ではなく本気で僕は隣に座っていた女の子が誰なのかよく分かっていなかった。後で知ったが、彼女は……一言で言うと僕以上の劣等生だった。あまりにも欠点が多いので、追試の時間割は彼女の試験が重ならないように考慮されていると言われるくらい真っ赤な通知表を貰う女の子だった。にもかかわらず、彼女は実は、村上春樹や宮本輝は言うに及ばず、吉行淳之介や太宰治なんかも読破している読書少女だった。成績優秀な生徒達が村上春樹を難しくて読み通せないといってギブアップしているというのに!
  それだけ本を読み込んでいる彼女が言うからには僕は本当に李徴に似ていたのかもしれない。いや、はっきりと言えば僕は李徴そのものだった。
  李徴……臆病な自尊心と尊大な羞恥心を持った詩人になりたかった男。臆病な自尊心と尊大な羞恥心とは、言い換えれば「自分の才能の無さが明るみに出るのが怖くて努力をしなかった。しかしながら自分には才能があると信じるが故に平凡な奴らと同列になるのが我慢できなかった」とでもいうことだろうか? そして彼はその心に蝕まれるようにして人外の獣、虎と化してしまった。
  僕はその頃、初めて小説を書いてみたいと考えていた。しかし同人や文芸部は大嫌いで、「群れて書く奴らなんてどうせお遊びでしかない」と言い張り、自分の作品は決して誰にも見せなかった。だから指摘されるまでも無い、僕はこれを読んだ瞬間に、ここに描かれているのは自分だと確信していた。それを他人に指摘されたことが恐ろしかったのだ。  眠れない夜に僕は今でも『山月記』を読み返してみる。悲しいのはあれから十年以上経つのに僕の中にはまだ臆病な自尊心と尊大な羞恥心がくろぐろと宿っていることだ。それは僕の弱さであり情けなさであり、そして同時に僕を僕たらしめている要素でもある。虎はすぐそばにいる。そして僕は自嘲して夜の闇に向かって呟いてみる。 「我が名は李徴なり」と。  
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