Time Has Come
「ロマンチシズム」礼讃    東條 弓月
 多くの人は「ロマンス」とか、「ロマンティック」という言葉を聞いて、何を連想するのだろう。「ロマンス」からは、おそらく恋愛物語、それも現実にはありえないような、夢のような大恋愛などを連想するのではないだろうか。それから「ロマンティック」は、ムードのある雰囲気とでもいったところだろうか。昔から良くあるパターンとしては、綺麗な星空を見せられた女性が「ロマンティックね」と口走ったりしている。もしかしたらこの言葉は幻想的という意味まで含んでしまったのかもしれない。
 さて、昔々(といっても10年にもならないが)高校生だった頃の僕は、この言葉が大嫌いだった。僕は高校生の頃、意固地にまで硬派な人間だったので、自分の人生に恋愛という要素は一切持ち込んでいなかった。だから「ロマンス」というと、女子供向けに書かれた砂糖菓子のような、ただ甘いだけで中身の無い恋物語というイメージがあったし、「ロマンティック」と言う言葉は、夢見がちなカップルが囁きあう意味の無い賞賛の言葉だと思い込んでいた。だから国語史の授業なんかで日本の浪漫派が取り上げられると、僕は知りもしないのに、辛らつな非難を浴びせ、彼らを槍玉に挙げていた。
 そんな風にして「ロマン」、「ロマンス」、「ロマンティック」という言葉を徹底的に避けて生きていた僕に、19歳の頃、とんでもない事件がおきてしまった。
 事の発端は大学で受講していたドイツ文学の授業。教授がE.T.A.ホフマンという作家のことを取り上げたのだ。音楽家になりたかった作家であるということ、小説を書く傍ら実際に音楽活動を行い、作曲家や指揮者としても活躍したという事。自身音楽家になりたかったくせに文芸学科にいた僕は、一発でこの作家のことが気に入ってしまった。しかし、自主的に詳しく調べていくと、なんと彼はドイツロマン派の作家に分類されている。しかも彼が作曲したオペラ『ウンディーネ』はウェーバーの『魔弾の射手』とともに、音楽史上初のロマン主義的なオペラとされているではないか。ここで、ロマン・アレルギーの僕は、物凄い抵抗を感じてしまった。
 しかし僕はホフマンという作家自体が嫌いなわけじゃない。ということで、意を決して僕は彼の著書を手に取った。そしてこんな一文に行き当たったのである。
 「私はあえて、音楽はあらゆる芸術の中で最もロマンティックな芸術であり、唯一純粋にロマンティックであると言いたい。というのも、音楽の主題は、無限ということに他ならないからである」(※1)
 無限なるものがロマンティック? 強い衝撃を受けたような気分だった。そして、僕は思った。ホフマンの語るロマンと、今の日本で使われているロマンは、全く違うものではないだろうか、と。
 試みにロマンとその派生語を手元にある広辞林第五版で引いてみる。
ロマン《フランスroman》……物語、長編小説。
ロマンス《romance》……@伝奇的、空想的、冒険的な要素をもつ物語(小説)。元来は、ロマンス語で書かれた中世騎士の武勇物語。A恋愛および清純な恋物語。B放浪詩人の歌った形式にとらわれない感傷的な愛の歌。C男女の恋愛事件。また、その話。
ロマンチシスト《romanticist》……@ロマンチシズムを主張する人々。浪漫主義者。A空想家。夢想家。
ロマンチシズム《romanticism》……浪漫主義。@18世紀末から19世紀初頭にかけてフランスにおこり、ヨーロッパに展開された文芸思潮。古典主義・擬古典主義に反対して、伝統にとらわれず、自由奔放な内面感情の優越性を主張し、無限なものへのあこがれを表現しようとする。⇔クラシシズムA夢や空想の世界にあこがれ、現実逃避の感傷的・主観的情緒を好む精神傾向。
ロマンチスト……ロマンチシストのなまり。
ロマンチック(ニ形動)《romantic》……非現実的で甘く美しく空想的なさま。
 このように見ると、いずれの語も現在日本では、もともとの意味が薄れ、その後派生した意味合いの方が強まっているように思える。
 元来のロマン主義(ロマンチシズム)は古典的、形式的な文化のあり方に対するアンチテーゼである。また、ロマン主義を人間精神のタイプの一つとしてみると
「内面的であって、無限追求と流動的な発展、音楽性などを特徴とし、古典主義の普遍性、世界主義的な規範性にたいして、個性の権利をどこまでも主張する」(※2)
ものである。

 この考えを知ったとき、僕は「ロマン」や「ロマンチシズム」に対する自分の認識を改めた。それは、それまで僕が偏見を持って考えていた事とは似ても似つかない物だった。そして僕は、その頃自分自身が描こうとしていた小説の「音楽と共に限りなく広がっていく人間の意識」というモティーフが、極めてロマン主義的な考えであることを認識した。
 
こうして19歳の秋、僕は現代に生きるロマン主義者(ロマンチシスト)になった。そして音楽を聞く耳、小説を読む目は随分変わったように思う。そしてその後、僕はシューマンやリストに代表される、ロマン派の音楽にも触れていくことになる。今ではそれらのロマン主義的観念が僕の考え方の根本になったようにも思えてしまう。
そんな訳で僕は今でも「無限なるものへの憧れ」とは一体どのような意識だったのか、ホフマンは何ゆえ音楽を唯一のロマン的な芸術だと言い切ったのか、そして、「無限を主題とする音楽とは何なのか」という事を考えるのに忙しい。あんなに嫌っていた「ロマン」と言う言葉に胸をときめかせる様にもなった。たいした変化である。但し今でも日本語の「ろまんちっく」は苦手だけども。

※ 1 『ドイツロマン派全集 第13巻 ホフマンU』(国書刊行会)収録
    『クライスレリアーナ』より「ベートーヴェンの器楽曲」
     伊狩裕訳
※2 『増補 ドイツ文学案内』 手塚富雄・神品芳夫著 岩波文庫別冊3

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